吉田寮問題にかかわる教員有志緊急アピール

京都大学の教員有志が主体となって「吉田寮問題にかかわる教員有志緊急アピール」を発表しました。 呼びかけの主な対象として想定しているのは京都大学の教授会構成員ですが、一般の方にもご賛同いただけます。賛同の受付は終了しましたが、今後も関連情報などをアップしていく予定です。

賛同者からのメッセージ集(2月28日8時現在まで)

◯江田憲治さんのメッセージ

吉田寮の廃寮には断固反対です。当局は学生との話し合いを行うべきです。

 ◯川島隆さんのメッセージ

京都大学はとにかく対話してください。対話しないことがあたりまえになれば、この大学は私たちが知っている「京都大学」ではなくなります。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

吉田寮の存在そのものが、多くの学びを生んでいると思っています。
今回の副学長のあり方は、そのような存在に対する行動として、あまりに欠くものが多いのではないでしょうか。
理念を守ることも大事だし、丁寧な話し合いも大事だし、現実的な着地点を探ることも大事でしょう。
良心のある説明を聞きたいです。

◯冨岡勝さんのメッセージ

 1980年代に吉田寮で寮生活を経験しました。1)一人ひとりが根拠を示してじっくり話し合うことの大切さ、2)寮内のさまざまな仕事を寮生が共同して担うことで寮生間のつながりが生まれること(趣味などが合う友人であるかどうかにかかわりなく、寮生同士のつながり)、3)寮自治はいつも正解が簡単に見つかるのではなく結構悩むことも多いがそれも「なすことによって学ぶ」教育経験であること、4)音楽や文化的行事などを通して寮外の人ともすぐ知り合いになれる開かれた共同性の楽しさ、などを知ることができたような気がします。
 わたしは他大学に勤務しているので京大の構成員ではありませんが、元寮生の一人として、今回の「吉田寮問題にかかわる教員有志緊急アピール」に心から賛同します。
 公表されたアピールを見ても、様々な体験をもとにしたアピール、京大全体の問題として掘り下げたアピール、公的文書や史料を読み込んだアピールなど、個性的で説得力のある主張がなされていることに敬意を表します。創立期から「自重自敬」を重視してきた京都大学において、今回の吉田寮をめぐる動きのなかで、学内でどのような議論が行われていくのか、注目している市民、教育関係者(生徒、学生、保護者、教員など)は少なくないと思います。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

2/12告示の「吉田寮の今後のあり方」文書には、呼びかけ人の先生方の御意見も踏まえ主に以下2点の理由により承服しかねますので、私はこのキャンペーンに賛同せざるを得ません。
・この文書では、吉田寮からの退去通告の目的が、これまでの「安全確保」から大学自身が学生に与えてきた「自治」の否定に入れ替わったように読め、一線を超えたという印象を与えること。
・その変化が、管理する大学当局と運営する学生の「コミュニケーション」の場を閉じた状態で起こったことが否定できないものであり、これは京都大学の教育方針の根幹に反するのみならず、倫理的・政治的批判にも耐え難いものであること。

個人的に川添先生には学恩を感じており、先生のことは今でも尊敬しております。当該文書が直接先生がお書きになったものでないにしても先生の責任のもと編集されたという事実に少々狼狽してはおりますが、あくまで研究に対する先生のお姿とは切り分けて判断させていただきます。どのような決定になるにせよ、自治そのものは否定され得ず、対話の場は開いておいて頂きたいです。

◯伊藤玄さんのメッセージ

先ずは2009年4月24日に川添信介・学生部委員会第三小委員長(当時)も出席していた場で示された『吉田南最南部地区再整備・基本方針(案)』の事を、自身の体験記憶でも歴史記録でも良いのでアクセス可能な方は思い出して頂きたい。

メディアセンターと3号館の間の(現在吉田寮に阻まれている)道路を南に近衛通まで延長するだとか、吉田寮(現棟)を取り壊してその跡地に新しい寮棟を建て、西側の焼跡の方に建てる新棟と合わせて収容定員を300人以上とするだとか、取り壊した吉田寮現棟に関しては「伝統を顕彰するため、何らかのメモリアルを作る」だとか、寮生の在寮期間を2年間を原則とするだとか、そんな内容(今回出た『吉田寮の今後のあり方について』の企図をより具体的に描いたものに見える)が色々と書かれている(そのくせ最後の部分「その他、この基本方針のうち新吉田寮への建て替えに関わる事項については、副学長は現吉田寮自治会と十分に協議を行うものとする」の部分については反映する気は無いらしい)。

2019年2月12日に「京都大学」名義で出された『吉田寮の今後のあり方について』の内容は、既に10年前(2009年4月24日)に示されていた『吉田南最南部地区再整備・基本方針(案)』と云う形で川添信介・学生部委員会第三小委員長(当時)が目指していた計画の内、西村副学長(当時)や後任の赤松副学長・杉万副学長との団体交渉に於ける吉田寮自治会及び関係当事者の長期の擦り合わせの努力に基づいてやっと撤回されてもっと建設的に話し合いが進んでいた部分を、副学長として返り咲いた川添信介が、恰も「""I shall return.""と誓ってフィリピンへの権益奪還に執念を燃やし、戦略的には不要だったにも関わらず自軍に多大なる無駄な犠牲を強いながら再占領を果たしたマッカーサー」さながらに元の基本方針案の形そっくりに復活させて圧し果たそうとする内容なのである。

つまり今回「京都大学」の出した内容は、十年前の第三小委員長だった頃からの川添信介氏個人の規定路線なのであり、その様な執念を動機とする積極的な川添氏を、国や財界の息の掛かった現理事会が自治寮潰しに利用せんとして採用しているのである。
その様な現理事会の意図とは、もちろん軍産学協同時代の早期再来を期しての露払いである。教授会自治も、学生自治も、その権勢に対するブレーキとして自治の慣行(惰性の維持)を行使(代謝・蒸散)し続けねば、どんどん自治権(コミュニティ=群落の代謝規模・蒸散量・慣行の行使による拮抗によって動的平衡として保証されている権限・自由と多様性の度合い)を露と奪われ先細りし、軍産学協同・大政翼賛の乾いた緩衝無き同質社会への加速・躍進を容認して行く一方である。

我々が寮運営当事者として行使し続けねばならないのは、寮を自分達の手で維持管理整備し続ける自治の慣行なのである。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

元熊野寮生の者です。
私は自治寮の低廉な家賃であったからこそ、大学院まで進学できたと考えています。
世の中には奨学金というなのローンがあり、それを利用するというのも1つの手ではありますが、大学院まで進学しますと借金額が膨大となりとても苦しむ事となります。
返済不要の奨学金もありますが、大抵は5〜8万/月で安く寮以外では家賃で消える額です。
大学が安価な住居を提供できればいいのでしょうが、女子寮での値上げの件や他大学の例を見てもそれは絶対に不可能です。言い切っていいと思います。
自治寮であったからこその家賃だから、私の今は有ると思っています。
貧しい者を排除しないでください。
卒業生より

◯頴川光樹さんのメッセージ

在学中、直接吉田寮に関わった機会は少なかったですが、吉田寮の存在とその出会いについてはかけがえのないものでした。今でも、賢くあれ愚かであれ、あるいはそのような枠組みを超えたものであれ、吉田寮の人々-文化-感性からは学び続けているのです。

賛同者からのメッセージ集(2月25日12時現在まで)

◯水野広祐(呼びかけ人)さんのメッセージ

長い歴史をもつ吉田寮とその寮を支えてきた自治会の存在を尊重し、また大学と吉田寮との交渉の積み重ねの経緯を踏まえ、一刻も早く大学執行部が吉田寮自治会との交渉の場にもどることを願います

◯松本卓也(呼びかけ人)さんのメッセージ

「京大は、おもろい」――京都大学の2019年度の公式パンフレットの表紙にでかでかと踊るキャッチコピーである。

ここ数年で、これまでの京大がもっていた、どこか危うげであり、それゆえにときとして強みにも転化しうる隠れた持ち味であったはずの「おもろい」「変人」といった言葉が、「上から」「堂々と」「公式に」使われるものへと急激に変質してしまったように感じる。

吉田寮を始めとする自治寮、そして京都大学にギリギリ残っている学生自治の文化が、かつての「おもろい」「変人」文化の一翼を担うものであったとすれば、現在起こっていることはそれに対する「文化盗用」であるとみなすことが許されよう。

かつての「おもろい」「変人」といった言葉がもっていた境界的な性質――それは、さまざまな雑多なもの、怪しげなもの、狂いに満ちたものとのあいだに生まれ、ときにはさざまな格闘の末に得られた文化である――は、この文化盗用によって見るも無残に脱色されてしまい、「ソフィスティケート」された商品になりはててしまった。

もちろん、それは時代の流れなのかもしれない。現代とは、「カフェイン抜きのコーヒー」が流行するように、本質を失った形骸が本物のふりをして大手をふって流通する時代であるのだから。

こういう時代なのだから、大学は思い切って、「京大は、おもろい」などと言わずに、「真面目」かつ「本格派」な路線を突き進むこともできたであろう(現に、他の大学はほとんどがそうしているではないか)。そうすることもできずに、いまだに「おもろい」「変人」というコンセプトに未練タラタラであるばかりか、それを「客寄せパンダ」として掲げようというのだから、滑稽であるとみなされても仕方あるまい。

時代の流れに対して無批判に追従するのか? それとも、今も残る「おもろい」「変人」の伝統の燃えカスを生かして、その流れに可能な「捻り」を加えていく余地を確保していくのか? その選択は京都大学の全構成員によって決定されるべきであろう。

◯石井美保さん(呼びかけ人)のメッセージ

「あらゆるものの中心が、キッチンと図書館というふたつの施設からなる傾向にあったことは重要だ。」
 2011年にニューヨークで起きたオキュパイ運動についての著作の中で、デイヴィッド・グレイバーはこう書いている。台所と図書館。それは自発的なコミュニティの形成と持続にとって必要欠くべからざるものだ。本とキッチンを中心に、生活の場であり議論の場でもある空間が創りだされ、人びとが自然と集まり、有機的なネットワークがじわじわと広がっていく。それは並木道に置かれたベンチのように見栄えのいいものじゃなく、むしろむさ苦しくて薄暗い居場所かもしれない。でも、野生の勘をもった人たちや猫たちが集まってくるのは、いつもそうした路地的で裏道的な空間だ。
 そうした空間は、一朝一夕に作りだされるものではない。熱帯雨林のように微妙な均衡を保って維持されてきた有機的な関係性の網目は、一度破壊されてしまえば簡単には元に戻らない。いくら外から再生のお膳立てをしたとしても。
 学生食堂のテーブルにパーティションを作ること。
 無線を持った警備員を正門に常駐させること。
 立て看を撤去し、設置できる場所や期間や団体を管理すること。
 吉田寮から学生を退去させ、コミュニティを解体すること。
 これらはみんな、連動して起きている出来事だ。そうやって路地的なるものの排除を進めながら、他方では多額の宣伝費を使って「おもろい京大」のイメージが喧伝されている。おそらくは、お客様としての未来の学生たちに対して。管理する側にとってややこしい、薄暗い、危なっかしい要素を排除して、どこまでもクリーンで合理的でコスト・ベネフィットの帳尻が合うような、そんな大学と学生像が目指されているのだろうか。
 スターバックスがいくら宣伝しても真のサードプレイスにはなれないように、外注して作りだされた「おもろい京大」がアピールされても、虚しく歯がゆい。胃袋と知識を真ん中にして、人びとが根っこのところでつながりあい、大学からはみだしていくようなコミュニティを抱えもっていたほうが、大学としての底力は増すに違いない。路地的野生を手放してはならない。

◯安部浩さんのメッセージ

「吉田寮問題にかかわる教員有志緊急アピール」に賛同申し上げます。本学の基本理念(平成13年12月4日制定)の第三条は次の通りです。「京都大学は、多様かつ調和のとれた教育体系のもと、対話を根幹として自学自習を促し、卓越した知の継承と創造的精神の涵養につとめる」。また第八条ではこう定められています。「京都大学は、環境に配慮し、人権を尊重した運営を行うとともに、社会的な説明責任に応える」。学生諸氏に対する際には対話を以てし、人権尊重を宗とする本学の理念は当然、この吉田寮問題に対しても適用されねばならぬと考えます。

◯中原耕さんのメッセージ

吉田寮に対して全寮生の退去を命じるなど、この間の大学側の強権的なやり方には到底納得することができません。
緊急アピールに賛同するとともに、京都大学における寮自治の存続を切に願います。

◯[匿名希望」さんのメッセージ

匿名希望です。京大執行部の体制には失望しています。吉田寮にかかわる不当な権力行使には反対です。吉田寮の存続を願っています。

賛同者からのメッセージ集(2月23日8時現在まで)

◯岡田直紀さん(呼びかけ人)のメッセージ

 川添副学長、2月12日付の「吉田寮の今後のあり方について」という文書を拝見しました。これは副学長御自身で書かれたものではないにせよ、あなたが主導してまとめられたものと理解しています。
 この後に吉田寮自治会から2月20日付で出された「声明」と合わせて「あり方について」を読むとき、あなたと同世代の大人として同情を禁じえません。「あり方」が、一方的な通告として有無を言わさずこちらの言いうことを聞けと主張し、問題解決に向けた努力の跡など一切感じさせないのに対して、「声明」には多くの寮生が議論を重ね、何とか打開の方向を見出そうと努力した跡が感じられます。(このことは、分断と対立を避けるために南の島でいま懸命に力を尽くしている人たちの姿を私に想起させます。)どちらの文書が読む人の心を動かすかは説明を要しないでしょう。この寮生たちのように、副学長にもひたむきな努力を傾けた時代がかつてはあったのだろうと、自分を振り返って推測します。歳を重ねるということは、必ずしも賢くなるということではないのですね。
 川添副学長、あなたの教えを受けた学生たちのことを考えると、同じ教員として同情を禁じえません。講義とは義を講ずると書きますが、「あり方について」を読んだ学生たちは、あなたが講じていたのは義であったのかと疑わないでしょうか。自分を指導してくれた教員に対して今も私が持ち続けている尊敬を、あなたの指導した学生は果たして持つでしょうか。
 川添副学長、「あり方について」が広く知れわたるようになった今、一人の人間として同情を禁じえません。人が心ならずも嘘をつくことを私は承知しています。そして、平然と嘘をつく人はそう多くはいないのだとも。居住者の安全確保のためにと説明されてきた大学当局の対応が実は虚偽であり、真の狙いは自治寮の解体にあったことが「あり方について」で宣言されました。あなたは強いられてこうした対応を取られたのでしょうか。だとすれば実にお気の毒ですが、それとも・・・。
 「声明」を通じて吉田寮自治会からボールが投げ返されました。直球です。このボールをどのように受け止められるでしょう。注目しています。

◯福家崇洋さん(呼びかけ人)のメッセージ

 これまで大学当局は吉田寮生の退去を迫る理由として学生の安全確保をあげてきたが、今回当局から発表された文書「吉田寮の今後のあり方について」「現在吉田寮に居住する者へ」(2019年2月12日付)は、寮の「自治」を問題視しており、これまでとは異なる段階に入ったと考えている。大学当局は上記文書で、「時代の変化と現在の社会的要請の下での責任ある自治には程遠く」や「同様の無責任な行為・言動」などと書き、吉田寮の「自治」を問題視する。しかし、以上の理由では、根拠が弱く、当局側の印象操作にとどまっているといわざるをえない。
 「責任ある自治」は、「京都大学学生寄宿舎規程」第二条「各寮における寮生活の運営は、寮生の責任ある自治によるものとする。」から引用されたものである。この部分は後年改正されて追加された箇所で、規程制定時(1959年)には「自治」の文言は記されていなかった。しかし、当初の規程でも寮の「自治」に対する配慮はなされており、大学当局は寄宿舎の管理と運営を分けて考えていた。同時期に寄宿舎側が作成した規程制定に関する資料には、「その後芦田学生部長とも懇談する機会を得、我々の寮が自治憲章等によつて何等の不足もなく運営されている実状を説明し、管理規程だと云われる寄宿舎規程や細則が、管理の面にとどまらず選考その他の運営のあり方に迄変更を生ぜしめるのではないかと云う全寮生の懸念を伝えたところ、先に厚生課長から示されたのと同様の考え方によつて、その懸念の不必要な事を説明された。」(京都大学々生寄宿舎総務部「学生寄宿舎規程制定に関する経過報告」1959年2月26日付、『吉田寮関係資料』Ⅰ-100、京都大学大学文書館所蔵)とある。
 よって、規程制定後でも、これまで通り寄宿舎の運営(上記によれば「選考」も含む)は寄宿舎自身に委ねられることが考えられていた。このため、寄宿舎側は「たとえば自治憲章、実行箇条等を遵守する精神を失い、舎生の機関によつて秩序の維持が不可能となる」ような事態でなければ、「大学制定の細則によつて運営のあり方を拘束する事はできないものとなりました」(同上)と記している。
 その後、この寄宿舎規程については吉田寮側から問題提起がなされ、より運用実態にあわせるべく規程改正運動がなされ、結果的に1963年5月付で京都大学学生寄宿舎規程の改正が行われた。とくに重要と思われる改正箇所を以下に引用する(京都大学事務局『学報』3022号、1963年5月31日)。

  • 「第二条 各寮〔吉田寮、宇治寮、女子寮を指す 引用者〕における寮生活の運営は、寮生の責任ある自治によるものとする。
  • 2 寮生の自治に関する規則は、寮生がこれを作成し、学生部長の承認を得るものとする。その規則を変更しようとするときも同様とする。」
  • 「第四条 入舎する者の選考は、寮生代表の意見をきいて、学生部長が行なう。」

 まず、この規程改正が寄宿舎側の意向を汲んだものであることは、寄宿舎側が策定していた「京都大学学生寄宿舎自治憲章」(1955年、『吉田寮関係文書』Ⅰ−112)総則第二条「本寄宿舎は責任ある自治生活を営み、舎生相互の人格の向上を図ることを期する。」として、「責任ある自治」の文言が寄宿舎規程にも新しく盛り込まれたことからもわかる。選考についても、もとは「学生部長が選考を行う」だったのが「寮生代表の意見をきいて」が追加された。
 また、当時の京大の評議会に提出された文書「京都大学学生寄宿舎規程の一部改正について」(『評議会関係書類 昭和37年9月〜昭和38年7月』MP00071、京都大学大学文書館所蔵)では「改正理由」として、「学生寄宿舎の伝統ならびに現状に照らし、寮生による自治的運営を明確にすることにより、寮の教育的機能を一層向上せしめるよう、この規程の一部を改正するものである。」と記して、寮の「自治的運営」を大学当局自身が強く謳っている。規程内では学生部長(のち副学長に改正)の関与が記されているが、それはあくまで寮側の「自治」を前提にしたうえでのことである。
 当時の『学園新聞』1963年5月20日付にも、規程改正の記事「寮規定改正される “学生の自治”を強調」が掲載され、第二条について「寮生の“責任ある自治”が積極的に前面に押し出されている」として評価している。なお、同記事には、2月15日に寮生代表と大学側の間に「覚え書」が交わされ、第4条に「入寮選考については慣行を尊重する」という文言が付帯されたとある。
 よって、規程の改正は明らかに大学当局が寄宿舎側の「自治」を追認したものであり、この状況下で改正が行われたことを踏まえて、現行の規程を解釈する必要がある。
 なお、「京都大学学生寄宿舎自治憲章」はのちに「京都大学学生寄宿舎吉田寮自治憲章」(1965年制定)と変更され、上記の総則第二条につづいて、第三条「本領は自治寮たるをもつてその運営はすべて本寮寮生に依り行われ、本寮以外の何らの干渉を受けず本寮の自治の侵害は許さない。」が加えられている(『吉田寮関係資料』Ⅰ-101、上記項目は「吉田寮自治会自治憲章」に改正されながら継承)。
 以上の経緯を踏まえて、改めて大学当局が発表した「吉田寮の今後のあり方について」「現在吉田寮に居住する者へ」の問題点について考えたい。まず一点目は、「本学は、基本方針を実施する過程において、吉田寮自治会による吉田寮の運営実態が到底容認できないものであることを認識するに至った。・・・しかし、この不適切な実態は、・・・学生寄宿舎である吉田寮を適切に管理する責務を負う本学にとって、看過できないものである」とあるのは、寄宿舎規程制定時における、管理と運営の別を踏まえた大学当局の見解と齟齬があるということである。大学当局が管理主体として運営主体(吉田寮)の自治慣行を尊重・追認したうえで、安全確保のため退寮を促すことはまだしも、占有移転禁止の仮処分命令申し立てなどの法的対応に訴えることは、自治的な運営に対する侵害である。あわせて、その運営に含まれる新寮生選考を大学当局が一方的に禁止を言い渡したことも問題である。
 もう一点は、吉田寮の「自治」に問題があったか否かである。寄宿舎制定時における寮側の認識として、運営に支障がある状態とは、「自治憲章」等を遵守する精神を失って寮内の機関による秩序維持が不可能となった場合が想定されている。この精神とは、「自治憲章」総則に記されてきた、寮生が責任ある自治生活を営むことや寮生相互の人格向上を図ることであり、また自治寮として他からの干渉を受けないことである。少なくとも、現在の吉田寮がこの2点に体現される精神を守っていないとはいえず、むしろ自治寮を守り受け継ごうとしているがゆえに今日の事態にいたっている。よって、大学当局が言うように、吉田寮の「自治」に問題があるとは到底いえず、規程を理解していない当局側の干渉こそが吉田寮の「自治」を脅かしているのである。そのことを以て吉田寮の「自治」に問題があるかのように印象操作を行う大学当局の姿勢は、自己矛盾としかいいようがなく、学問の府が取るべき姿勢ではない。よって、大学当局は、運営を担う吉田寮の「自治」を尊重したうえで、吉田寮との対話・協議を再開することを何より求めたいと考える。

◯川島茂人さんのメッセージ

まず、「学生側の責任者及び関係者」と、「大学側の責任者及び関係者」は、平等な立場で、公平公正に話し合う機会を持たなければいけないと思います。日本の民主主義の成熟度が問われている非常に大切な問題であると感じます。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

大学当局の吉田寮に対するやり方には疑問を感じていました。緊急アピールに賛同します。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

京大生でも卒業生でもないが、寮の近くで元寮生らとシェアハウスをしていたので、2年半程頻繁に出入りしていた。寮生とバンドを組んだり、読書会や映画の上映会をやったりラップやDJを教えてもらったり。旧食堂で谷川俊太郎による朗読会が開催されたこともあった。併行してカンパ(投げ銭)制のビーガン料理レストランが、元寮生により開かれた。カンパ制のレストランは、ボンジョビがニューヨークでやっている事で、最近でもラジオ番組で話題になっていた。

寮との暮らしはワンルームに住んでいた頃とは比べものにならない程一日一日が濃密だった。人と会うのに電車に乗ったりバーに行かなくても、こたつに鍋と酒瓶で集まれるから、お金を使わなくても心豊かに暮らせた。

寮生それぞれの関心も多様だ。話に共感して、子どもの居場所づくりや、無料数学塾など、社会的意義のある試みを実験的にやってみることもあった。寮があると集まる場所に事欠かないし、日頃顔を合わせていると距離感も近く、人手を集めやすい。学生の生活様式として最適化されていると、つくづく感じた。そうして自治寮の場にはいつも新しい風が吹いている。知的、実践的な刺激と熱気が溢れていた。

よく、学籍のないものが長年住み着いているとか言われたりもするが、実際は滅多にいない。長くいる人も科目等履修生だったり、再受験して京大に入り直したりして学籍はある。

仮に家を持たない学外者がそのまま住み着くようなことがあれば、まずたちまち寮内で話題になる。寮生らがよってたかって、その人にとって最も人道的な支援について話し合いを重ねるだろう。寮生はなんやかやと文句を言いながらもパワフルで、話し合いによる寮自治は現に活発に機能している。

また、""吉田寮は反社会派勢力のアジト""といったうがった見方も、事実と異なる。吉田寮生は古くから過激派と距離を置きノンセクトを貫いてきた経緯があり、日頃より個人の精神的自立を非常に重視している。セクトどころか、新興宗教やマルチまがいのセミナー勧誘も皆無であり、これは一般的な大学のキャンパスよりよほどクリーンといえる。

入寮する動機は様々だが、時には深刻なものもある。親が強要する地元の大学を蹴ったから、親から全く援助を受けられないという複雑な話も聞いた。親の年収が高いと経済的な支援制度が使えないことが多い。この人は自治寮のある大学を選ぶ事で己の独立性を保っていた。

人対人の関係で一人一人の事情に寄り添い、画一的な規律ではなく話し合いの中で解決を図ってきた寮自治の仕事ぶりは、とても大学当局が肩代わりしきれるものではない。これまで学生の自主性を尊重し、判断を委ねてきた事で、組織や制度にはできない入寮選考が実現していたのだ。

寮生らは常に自分の感覚に問い、己の思考と判断に頼って判断するし、他人の感覚や思考も尊重する。その態度が、過去には女性や留学生にも入寮権を拡大してきた。

4〜5年前の交渉ではジェンダートイレの設置を求めるなど世界に先駆けた要求もしていた。実現していれば今頃先進的な取り組みとして京大の実績になっていただろうに。

自分の母校の大学時代を振り返ると、個人間競争が激しく、ファッションだのモテ非モテだのと周囲との差ばかり気にして、くだらない事で消耗していたように思う。その点吉田寮は、人との距離感が違う。連帯を深めて協働する学生生活がそこにはあった。

吉田寮には人の精神性に影響するような場の力がある。京大が吉田寮を失うことは、あの活気や生気、自分と違う立場を思いやる想像力、寛容さや多様性も失われるという事だ。それはいたたまれない。

賛同者からのメッセージ集(2月21日8時現在まで)

◯藤原辰史さん(呼びかけ人)のメッセージ

執行部のなかで寮生に対する不信が「創出」されているような気がします。吉田寮生に対する一方的なイメージを「創出」して、そうだそうだと同意して、それを元に寮生への対応が進められているような気がします。大学での学問の訓練の過程でわたしたちが学んだのは、そんなときに、まわりの空気に流されず、敷かれたレールから降りて、冷静になって事実と向き合うということでした。良識ある学問の担い手であれば、いまから団体交渉約束の破棄の段階にまで戻って検証することもできるはずだと信じています。

◯高山佳奈子さん(呼びかけ人)のメッセージ

これまでの経緯や学生の提案を無視した朝令暮改の措置は、京都大学の歴史と社会的評価を著しく傷つけ、基本的人権を侵害しています。京大の文化的価値と信用を取り戻しましょう。

◯木村大治さん(呼びかけ人)のメッセージ

以前、学生生活委員会第3小委員会(寮問題等担当)のメンバーでした。大学側の立場、寮生側の立場、双方をそれなりに理解しているつもりです。(その均衡点である「団交」に出席するのは、大変だが貴重な経験でした。)しかし今回のように、大学側が、これまで長年にわたって続いてきた寮との関係を、突然掌を返したように変更して強圧的な態度に出るのは非常に不自然に感じます。寮生側も歩み寄りの姿勢を見せているわけですから、大学側も問答無用という姿勢は改めるべきだと思います。これは本学教員の多くが感じていることではないでしょうか。

◯山岡幸司さんのメッセージ

だいぶ前の卒業生です。学生寮の自治破壊に反対です。当局はいったい誰のために管理強化にこんなに熱心なのか、そこからどういう利益を得ようとしているのか、実は自らも認識できていないのかもしれない。恥ずかしげもなくすぐ前言をひっくり返す、論理も理由もないふるまいには安倍政権と通じるものを感じます。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

緊急アピールに賛同します。大学には、自由と対話を根幹とするという基本理念に立ち返り、困難な道のりであっても、寮生およびすべての関係者との対話による解決を目指していただくことを願っています。

◯文山達昭さんのメッセージ

熟議を経ない民主主義はない。いまの京大のあり様は現政権と重なるところが大で卒業生としては失望しかありません。

◯井上明彦さんのメッセージ

もと吉田寮生です(1977?1980)。川添信介副学長の一方的な暴力およびそれと結託した京大執行部の暴力をただちに停止し、京大の建学の理念に立ち返ることを京大すべての教職員に求めます。

◯李栄恵さんのメッセージ

時代の変化とともに吉田寮も常に変わり続けてきたと思います。同時に、けっして変わらないものもあるはずです。だからこそ今まで続いてきたのだと思います。その流れを一時の経営判断で断ち切らないでほしいと思います。木造の建物保存そのものよりも自治の精神をこそ大事にしてほしいです。

◯芦刈成人さんのメッセージ

今回の京大当局の問答無用のやり方は、看過できません。
自由こそがレゾン・デトルの京大にあるまじき強権発動です。
同窓生の一人として、強く抗議します。

◯ひびの まことさんのメッセージ

「吉田寮は廃寮ではないが自治は容認できない』京大執行部が主張」
「居住する条件は『自治を行わないこと』誓約が必要」
「自治をやめれば住み続けてもいい 京大執行部が条件」
一般紙であっても、本来、新聞の見出しはこうあるべきだった。

▼川添副学長でさえ、これまでは曲がりなりにも「吉田寮生の安全確保」こそが目的だと言ってきた。しかし2月12日に京大執行部が発表した吉田寮に対する方針(と川添副学長の記者会見)は、吉田寮で行われている自治・自主管理や吉田寮自治会それ自体を解体することを、彼らが意図していることを宣言したものだった。少なくとも、吉田寮自治会と京大執行部の双方の主張を追ってきた者にとっては、今回の京大執行部の方針を直接読めば、それはあまりに明らかだった。
▼にも関わらず、新聞各紙の見出しは「京大、吉田寮新棟の居住認める 退去問題で一部方針転換(京都新聞)」などと、事実とは異なるイメージをつくり出すものだった。実際に私の友人も、新聞記事だけを読んで「吉田寮に今後も住み続けられるみたいだね(ハート)」などと言い出す人までいた。京大執行部による印象操作が、実に上手くいっていた。
▼そんな状況だったからこそ、この間の京大内部でのいきさつを知る教員達から『大学執行部の本当の狙いが「寮生の安全確保」ではなく、自治寮としての性格の解体である』と正確に指摘するアピールが出されたのは、時宜にかなったことだったと私は思う。
▼もう一つの見方として、吉田寮自治会の闘いの成果として「大学の指示を無視して新棟に住み続けた吉田寮生の居住を、条件付きではあるが大学に正式に認めさせた」という言い方もある。しかし「寮生の安全確保のため」に耐震性に何の問題もない吉田寮新棟からも出て行け-という京大執行部の従来の主張は論理破綻しており、そもそもその実現は困難だ。そこでむしろ逆に、「新棟からの全員退去強制はしない(できない)」というカードを、いずれ切らざるを得ないのであれば、できるだけ高く売りつけようとしているのが、今の状況なのではないか。
▼はじめから問題は「老朽化」「寮生の安全確保」ではなく、寮自治の破壊だった。大学の間違った指示に従うのではなく抵抗し、あくまで話し合いを求め続けた吉田寮自治会のこの間の闘いのおかげで、そのことを、彼ら自身が白状せざるを得ない状況にまで追い込んだ、と言うと言い過ぎだろうか。実際、「老朽化」が問題にされた現棟については川添副学長が「建築物としての歴史的経緯には配慮する。引き続き寄宿舎として使う」と言っており、吉田寮自治会との話し合いさえ行われれば、一定の合意を形成するのは、私には可能に思える。
▼逆にいえば、既に京大執行部でさえ、吉田寮は廃寮にはしない、建物は残すと言っている。そこまでは言わせることが出来たのだ。あとはそれが自治寮であるかどうかだ。京大執行部による管理か、それとも寮生による自治か。争点は明確になった。
▼もちろん、大学の自治をめぐっては、形だけ(になりつつある)とはいえ大学組織の意思決定過程に関与できる教員と、学生や市民達との間には、別の緊張関係がある。教授会自治ではなく、学生や職員も含めた大学自治へ。学生や教職員だけではなく、近隣住民や市民も含めた大学の自治へ。そういった実践を続けてきた吉田寮だからこそ、まさにその自治と自主管理の実践が、攻撃を受けている。
▼それはつまり、教授会自治さえ奪い、役員会などごく一部の人間によるトップダウンの大学運営を行おうとする者たちとの闘いであり、またそれを許している教員達との闘いでもある。その意味では、教員に過剰な期待は禁物だ。
▼役員会だけ、教授会だけ、教職員だけ、学生だけ、ではなく。近隣住民や市民も含めた大学の自治を、京都大学の場で作りだしていくために!それぞれの立場から、ともに闘おう!

◯中津めぐみさんのメッセージ

京都大学の歴史ある校風(自由、自主、自立、自治)が否定されてはならない。吉田寮、及びタテカン問題の根本はこれです。それは、ひいては京都全体のあり方にも繋がっている。それだけに、しっかり勝ち取らないといけないと思います。対話が広がり、本質が見え始めた今、学長はじめ、多くの識者にもより見えてきたのではないだろうか。粘り強い運動、そして対話にて、もっと広がっていくようにと応援します。

◯足立芳宏さんのメッセージ

趣旨に賛同します。また寮自治の重要性にも同意します。ただ複雑な経緯を辿り、傍目には判断が非常に難しい案件で(ほとんど情報がないのですが)、従来の寮自治のありようにも反省する点はあるのではと思っています。吉田寮のみならず、熊野寮、女子寮も含めて寮自治のあり様を議論する必要があるとも思います。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

吉田寮は一見、よくわからないカオスのような存在ですが、立場の弱い人を受容してきたシェルターのような存在でもあるように思います。何でもかんでもキレイにしてしまえばいいといものではないと思います。

◯鈴木淳史さんのメッセージ

大学等の学校は流動的な組織であるため、一度伝統が失われると、なかなか取り戻しにくい。
だからこそ、自主管理の伝統を決して失ってはいけません。
権力の濫用を新たな伝統にしてはいけません。
応援してます!

◯「匿名希望」さんのメッセージ

立て看が消え、変わり果てた京都大学の姿は嘆かわしい。そこかしこで自由な言論が紡がれ、それゆえつねにガヤガヤした雰囲気のあった正しい京都大学の姿は、今日、吉田寮周辺のみに残っている。その吉田寮が消滅することは、大学において発言が許されるのはひとり当局のみであるとする権威的で威圧的な全体主義的統治をいっそうのさばらせるだけだ。吉田寮問題で危惧されながら、いまだ表だって議論されていない問題のひとつは、跡地の利用である。特定の理事が当局にプレッシャーをかけ、特定の研究科のみの利益にかかわるいかがわしい施設の建設を目論んでいるという噂は聞き捨てならない。そうした見えざる意図を封印したまま、「安全性」という目先のお題目に議論をすり替え、居住者の言い分にいっさい耳を傾けないという欺瞞は糾弾されてしかるべきだろう。

◯植田智道さんのメッセージ

一方的に吉田寮の自治を奪うことは、自らこれまでの京都大学の歴史や個性を否定しているようなものです。学生との話し合いの場を持って欲しいです。

賛同者からのメッセージ集(2月19日15時現在まで)

◯小山哲さん(呼びかけ人)のメッセージ

京都大学における学生寮の自治の制度的な根拠は、次の規程によるものです。
京都大学学生寄宿舎規程」(昭和34年2月10日 達示第2号制定)

「第2条 各寮における寮生活の運営は、寮生の責任ある自治によるものとする。
2 寮生の自治に関する規則は、寮生がこれを作成し、副学長の承認を得るものとする。その規則を変更しようとするときも同様とする。」

寮生が主体となって自治を行なう権利は、この第2条によって保障されています。
また、入寮者の選考については、寄宿舎規定の第4条に条文があります。

「第4条 入舎する者の選考は、寮生代表の意見をきいて、副学長が行う。」

「寮生代表の意見をきく」ことが入寮選考の前提条件になっています。「自治会」という団体名は規程上はありませんが、慣行として、各寮の自治会が第4条の「寮生代表」に相当する団体とみなされてきたものと考えることができるでしょう。

2月12日付で発表された「吉田寮の今後のあり方について」のなかで、川添副学長が「もとより本学は、学生寄宿舎における学生の責任ある自治を尊重する」としながら、「本学は、基本方針を実施する過程において、吉田寮自治会による吉田寮の運営実態が到底容認できないものであることを認識するに至った」と述べているのは、上記の第2条の表現をふまえたものです。2月12日付の声明によって、京都大学は、吉田寮自治会は第2条で定められた「寮生による責任ある自治」を担う資格と能力を欠いていると判断した、と公的に表明したことになります。
問題は、そのような判断を下すにあたって、十分な調査と議論の手続きがふまれることなく、一方的に宣告がなされている、という点にあります。
大学執行部の「吉田寮自治会による吉田寮の運営実態が到底容認できないものである」という認識は、現在、各研究科・学部で教員が指導している(あるいは、将来、指導する可能性のある)院生・学生から、大学の規程によってこれまで認められてきた権利を剥奪し、彼らの生活と学業の環境を大きく変更する重大なものです。一般の教員には、大学執行部による上記の認識が適切なものであるのかどうかを判断するための具体的な情報も、オープンな議論の機会も、与えられてきませんでした。「多様かつ調和のとれた教育体系のもと、対話を根幹として自学自習を促し、卓越した知の継承と創造的精神の涵養につとめる」、また、「学問の自由な発展に資するため、教育研究組織の自治を尊重するとともに、全学的な調和をめざす」という京都大学の基本理念に照らして、このような状況は不適切であると考えます。吉田寮自治会との対話の道を閉ざさず、また、教授会で十分な説明と審議をおこない、学内の合意形成を図ることを求めます。

◯柴田一成さんのメッセージ

緊急アピールの趣旨に賛同します。

◯西澤真樹子さんのメッセージ

京都市民です。京都大学は生活をともにする学生たちの共同体の場を壊さないでください。大学移転に絶望して命を断った研究者のような悲劇が京大でも起こるのではと不安でなりません。大学が対話を一方的に打ち切るのは間違っています。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

吉田寮が苦しめられる中、有志とはいえ教授会が声を上げたのは賞賛に値すると強く思います。日本に僅かしか残らない学生自治の拠点、現代社会に求められる「思考性」「多様性」を育てるに適する「自治」を何としてでも守らねばなりません。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

寮生の方の自治と安全のどちらも後押しできるよう、力になれることはないだろうかとずっと考えてきましたが、こちらの「緊急アピール」は心から賛同できるので、署名いたしました。応援しております。

◯林 葉月さんのメッセージ

対話の学風を掲げながらも学生達と従来通りの団体交渉をせず、今までの確約を引き継ぐこともせず一方的に反故にして強引に押し進める京都大学のやり方に強く反対する。学生が自治をする中で経験することの価値を軽んじてはならない。なぜならそれらは大学を卒業してからも社会において人権のひとつとして考え実行され続けるべきことの一つだからだ。自分たちのことは自分たちで考えて決める、そういった当然の権利を私たち全員が持つ。それを踏みにじる大学のことを学外からも見過ごすわけにはいかない。山極は総長なのだから大きな権限を持つ。川添を罷免するべき。出来ないのなら退陣せよ。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

大学当局の家父長制的/植民地主義的管理の推進の問題は吉田寮にかぎらず

◯雨宮 愛さんのメッセージ

百万遍の近くの校舎で学ぶ京大院生として、お正月の「おみくじ」や、バレンタインの「チョコレート」を配る、無邪気で可愛らしい立て看が、週末でも光の速さで撤去されている現実に、職員に休日出勤をさせてでも有無を言わさず取り締まる思想統制の怖さと悲しさを感じます。

立て看がいけないのではなく、「権力に歯向かう学生が気に入らない」という政府や大学上層部の思惑が見え隠れし、大多数が保身の為に「事無かれ主義」でやり過ごす中、私は、誰が何と言おうと、おかしいことはおかしい!と反対意見を堂々と表明できる人間でありたいと思います。

先生方が、「京大教授」という身分を賭けて声を上げて下さったことに最大限の敬意と謝意を表明します。

◯田畑元治さんのメッセージ

学生たちが、生活の場の運営方法などを、自分たちの知恵と手間をかけて試行錯誤できる稀有な場としての自治寮は、今こそ必要とされる「教育の場」だと思います。これからの世界を切り拓く若者のためにも、自治寮としての吉田寮を是非、維持・発展させて下さい。どうかよろしくお願い致します。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

現在京都大学を目指している高校生です。昨年の11月祭で吉田寮の見学に参加させていただき、寮生の方々が寮を続けるために様々な活動を主体的に行う様子や、建物の美しさと歴史を感じさせる佇まいにとても感動しました。合格したら吉田寮の現棟にぜひ住みたいと思っていたのですが、大学当局の声明文を読み、もう現棟には住めず寮の自治も認められなくなってきているのかと非常に残念に感じています。教員の方々がこうして声をあげてくださったことが本当に嬉しいです。耐震性の問題などもあるということなので今まで通りというのは無理なことだと思いますが、旧制第三高校時代からの貴重な建造物と寮生の自治が良さを失わず残っていくことを願っています。

◯星野文男さんのメッセージ

吉田寮は誰にも開放された寮のはずです。私どもの先輩も京都旅行の際にお世話になったと聞いています。

◯鈴木博さんのメッセージ

かつての京大は、曲がりなりにも教官が運営の中枢を担い、闘う相手ではあっても言葉が通じていたような記憶があります。今は、管理することしか考えていない官僚が主導権を握っているように見えて、その下で働く職員も上を見るばかりで学生を見ていない。心ある教官の皆さんが立ち上がって学生と連帯し、行動を起こすことを切に願います。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

現在の京大当局の在り方は極めて不条理かつ恣意的であり、「ぼくのかんがえたさいきょうのきょうだい」へと突き進むものです。このような在り方を批判的批判的反省的に捉えなければ、天然の「おもろい」は死に絶え養殖の「おもろい」が蔓延るおもろくない京大になるでしょう。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

学生や教員、職員等によって構成される大学としてのあり方を今一度考え直さねば、これから先の京都大学は大学当局の「おもろい」というアピールとは裏腹にどんどん「おもろない」大学になってしまうと思う。

◯鳥居千朗さんのメッセージ

完全に時勢を見誤っている。

賛同者からのメッセージ集(2月17日9時現在まで)

◯山下紀志子さんのメッセージ

弾圧は、先ず『学生』そして『知識人』から『ペンクラブ 原水禁 等々』に拡がる。学生を、バラバラにし、自治を潰す。思考を止め、ものを言わせない。東大と識別させる為、この『京大』 は、自由を旗印に。全国で最初に狙われ、全国へ波及させドミノ倒しを狙っているのは明白。『民主主義』&『立憲主義』を覆す大問題だと常々思っています。頑張って、市民に 火 をつけて運動の輪を拡げて下さい!!

◯村瀬信さんのメッセージ

吉田寮問題は単に1つの寮が存続できるかどうか、ということ以上の問題を孕んでいる。それは、京大が長年大事にしてきた余裕、寛容さ、自由奔放さ、カオスの文化の継承集団が解散させられかけている、ということだ。
とりあえず確保せねばならない利益、ノルマの達成、喫緊の課題の達成に追われがちな世の中。その中にあって吉田寮は無駄な存在に見えるのかもしれない。しかし、そういう存在こそ我々に「豊かさ」を問う。
吉田寮は今コスモロジカルな前線にいる。そして、我々も同時に前線にいる。

「お前が消えて喜ぶ者にお前のオールを任せるな」
引用「宙船」(中島みゆき)

◯米谷拓哉さんのメッセージ

学生自治を経験しない人たちが国を動かしていくと考えると恐ろしくなる。自治会は修正の余地はあるかもしれないが、なくしてはいけないだろう。

◯匿名希望さんのメッセージ

どうか、今後の大学のためにも暴走を止めてください

◯「匿名希望」さんのメッセージ

本名を出さず申し訳ありません。私は熊野寮の寮生ですが吉田寮と同じ自治寮に住む者として、学生の自治によって築かれてきた吉田寮が大学に管理されてしまうということはあってはならないと考えています。そのためこのように京大教授の有志の方々の動きが出てきたのはたいへん良いことだと思っています。当局に吉田寮を、さらには学生の自治を潰させないためにもどうか頑張ってください。

◯中村明彦さんのメッセージ

アピールに全面的に賛同します。
京都大学吉田寮自治会が、自治・共生・地域交流・文化創造・福利厚生の場として、「責任有る自治」を担い、少なからぬ社会貢献をしてきたことは、歴史的事実です。
京都大学当局は、それをキチンと認め、学生寮を、すべての学生が安心して学び暮らせる自治と福利厚生の場として、維持・発展させるべきです。
京都大学当局が、今日までの強権的学内管理を改め、吉田寮自治会をはじめとする学生との対話に誠実に取り組むよう、強く求めます。

◯吉田耕士さんのメッセージ

目先の金儲けのために地上げにあってるんだと思ってたんですが、違うのかな?。

◯盛田良治さんのメッセージ

現棟及び新棟の運営など、吉田寮に関わるすべての問題について、京都大学当局が吉田寮自治会との話し合いを再開することを切に求めます。

◯寺坂美紀さんのメッセージ

熊野寮の寮生でした。吉田寮の危機的状況に、私たちが先輩から受け継ぎ、愛し、守ろうとしていたものが、今にも消え去りそうになっている現状に、毎日胸が張り裂けそうな思いで生きています。
私たち学生だけの力ではやはりどうにも自治を守りきれないことがあります。今回こそ、もうダメかと思い、せめて1%の可能性でも残せるように今回の要求を飲んでくれ、とも思いかけました。でも先生たちが声を上げてくれてとても心強く、勇気をもらえました。
冬ごろにニュースで、退去通告期限間近の吉田寮のドキュメンタリーを拝見しましました。
猛々しく戦ってきた仲間も徐々にいなくなり、「もう本当にダメなのかな」と呟く心細げな吉田寮生の姿をみて、涙が溢れて止まりませんでした。
止めることができない仲間たちの離脱。大好きだったものがなくなってしまうかもしれない悲しさ。それが歴史上最初から用意されていた落ちるべき穴だとしても、自分たちの代で終わらせてしまうかもしれない罪悪感、無力さ。
その苦しさは同じ自治寮を愛した者としてとてもひとごととは思えず、しかし、当事者である彼らの心情はより深く傷ついていることも想像に難くありませんでした。
やはり学生というのは、どれだけ団結しようとも、とても無力な存在です。私たち若者だけでは無力だから、どれだけ団結しようとも、一度大人や巨大な権威の力で簡単に吹き飛ばされてしまいます。
そして、学生には大人になるべき有効期限があります。ずっと側で守り続けることができないから、私たちは先輩たちの熱弁から自治を知り、そして今度は自身が自治を熱っぽく語ることで、次の世代へ次の世代へと受け継いできました。
この流れを絶対に絶やして欲しくないです。どうか皆さん学生たちに力を貸してあげてください。100年続く京都大学の自治の血潮を絶やさぬために、どうかよろしくお願いします。

◯落合範貞さんのメッセージ

先日、吉田寮の記録映画を名古屋で観る会を開催致しました
建築物として文化財としての価値を感じます、そして日本の代表する大学の一つである京都大学は、社会的存在意義を未来に対して問い続けるべきであります
独立行政法人に甘んじるべきではなく、再国立化ぐらい提唱すべきです
100年前の日本人が、スマホが普及した世の中など想像がつかなかったように、これから先の100年を見ようとするなら、近視眼的にならず大学の本来ある自治に根ざした、学問の自由を国民とともに前進させて下さい
自治という言葉も、近年の新自由主義経済のおかげで、独立採算をさす言葉に使われていませんか?
大学に行けない人たちも、納税者としてこの国を支え、大学のさまざまな研究が自分たちの幸福につながるものと、かすかに期待はしているのです
特に故郷を離れ、国を離れて大学で学ぶ学生さんには、とても大切な人生勉強の場です
吉田寮の存続を強く求めます

◯橋野高明さんのメッセージ

「大学当局者」よ、「大学の自治」の為に苦しい「血」を流し続けた、あの69年の闘いを忘れたのですか!

◯西澤真樹子さんのメッセージ

京都市民です。京都大学は生活をともにする学生たちの共同体の場を壊さないでください。大学移転に絶望して命を断った研究者のような悲劇が京大でも起こるのではと不安でなりません。大学が対話を一方的に打ち切るのは間違っています。

◯西垣安比古さんのメッセージ

戦前の大学学生寮は吉田寮しか残っていません。日本の教育文化の歴史上の財産です。学問の府がそれを破壊するような愚を犯してはなりません。

◯大石高典さんのメッセージ

対等な話し合いの道が開かれることを強く期待します。

◯白石壮一郎さんのメッセージ

自治空間としての吉田寮は、学生と市民との交流の場である「京大の縁側」。大学と社会の接点は公開講座(つまり教員の研究と市民との接点)だけじゃないでしょう。

◯坂元慶一さんのメッセージ

女子寮、吉田寮と自治が大学が奪われ、ありきたりな大学になっていてつまらない。日本の大学で異彩を放ち、かつ優秀な大学が存在すべき。規律を重んじて優秀なのは東大に任せて、別の違った角度で社会に貢献できる異質で優秀な大学は日本に必要。それが京都大学。その京都大学の中で更に特殊な自治寮も必要だと思う。社会からは異質にみられるだろうが、そのくらいの我儘な空間(寮)を認めてくれる度量を大学や国に望む。

◯横山考さんのメッセージ

自治はわずかな期間の断絶で失われます。一度失われた自治を再建するには、熱意と見識を備えた舎監による指導と長い年月が必要でしょう。その覚悟なく新棟からも全ての寮生を退去させるのは、自治を悪として否定しているように思います。学寮の自治は、期限つきの、実験的な自治でありましょう。だとしても、その意志を大学が否定するのはいかがなものかと思います。

◯金澤大さんのメッセージ

元吉田寮生です。大学側の自治を軽視する姿勢に反対します。

◯小坂純一さんのメッセージ

良識ある教員の皆様へ。

元寮生・気象予報士の小坂と申します。

今こそ、学内から広く声を上げていただきたく、アピールに賛同いたします。

京都大学の『学寮自治』は、初代木下総長の強い意向に起源をもち、戦時体制・学園紛争など様々な困難と紆余曲折を経て現在に至ります。『自由の学風』の構成要素の一つとして京都大学の歴史と共に歩んできたと言っても過言ではありません。
勘違いされている方もいらっしゃいますが、吉田寮自治会はかつての学園紛争を前後して特定の政治的主張やセクト類との決別を図り、寮生自身の生活基盤の運営を主とする団体です。

2001年に京都大学が21世紀の大学像として制定した『基本理念』には次のような言葉があります。
『創立以来築いてきた自由の学風を継承』
『対話を根幹』
『地球社会の調和ある共存に貢献』
『教育研究組織の自治を尊重』
『人権を尊重した運営』
『社会的な説明責任に応える』
(http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/history/ideals/basic/)

建学の精神並びにこの制定経緯に鑑みると、京都大学とっての『基本理念』の意味は極めて重く、存在意義そのものと言えるかもしれません。かくいう私も『自由の学風』の中での気象学研究に憧れて入学した一人です。

過去現在ともに一風変わった寮生が多いかもしれませんが、寮生活のルールとして、京都大学が最も大切としている『対話』を最重要項目と位置づけており、その点は私が在寮していた20年前からも一貫しています。数千人の卒寮生は、この寮生活での経験をそれぞれの文脈で活かし社会の発展に貢献していると確信しております。

総長以下執行部の皆さんは、この『基本理念』に忠実であることを以って、大学運営の中枢として任じられているはずです。しかし、現総長・副学長体制においては、老朽化対策の議論も含む代々の副学長の署名捺印文書の一方的破棄・毎月提出されてきた寮生名簿の受取拒否・対話時の恫喝そしてその後の対話要求の一切の黙殺・公式通達及び記者クラブ会見を通じての寮生と寮自治会への印象操作(安全をないがしろにしてゴネる学生・誰が住んでいるか分からない状況など)などによって、寮自治会を追い詰めている状況です。
そして、今回の『踏み絵』によって無条件降伏を迫る手法は、『人権を尊重』の一線を越えたと言わざるを得ません。『基本理念』を体現するべく踏ん張っている後輩寮生たちに対し、『基本理念』の著しい軽視で追い詰めている現総長・副学長体制という状況をどうかご理解ください。この状況は一卒業生としても極めて残念でなりません。

もはや対寮生・対寮自治会だけの問題ではなく、教員の皆さんに対しても同様の手法を取る可能性があることを示唆していると考えます。予算・処遇・処分の『踏み絵』で迫る未来があり得ることを想像ください。

これまで、卒業生を含む外部の声はことごとく黙殺されてきました。学内、特に教員の皆様からの声の重みは大きいと考え、教員の皆様に対してこの文章を記しております。どうか学内から勇気をもって声を上げていただけることを切にお願いいたします。寮生・寮自治会のみならず、将来の京都大学を救うことになると確信しております。

自身の大学院生活を支えてくれた吉田寮・人生の幅を拡げてくれた寮生活への恩返しと、『基本理念』を体現してくれている後輩寮生たちへのサポートができないかと考え、記した次第です。お読みいただきありがとうございます。

元寮生 小坂純一 (1999-2001在寮・理学研究科修了)

◯河野啓介さんのメッセージ

在野から見ていると、様々な事柄で大学が危機的状況である様です。
大学存在の要である「自治」を守り、発展させなければなりません。
「アピール」にあるような方向での前進と解決を望みます。

◯吉田響さんのメッセージ

息苦しさを感じる現在の世の中ではあるが、せめて吉田寮には本物の自由を保持して欲しいと願ってやみません。

◯河合駿太さんのメッセージ

伝統のあるものを壊すのはどうかと...

◯永榮紘実さんのメッセージ

歴代教育者やかつての学生たちが守ってきた京大を京大たらしめる「学生自治」という、今後生きていく上で必要な自治能力形成に役割を果たす絶好の教育の場が無くなると、京大も他の教育機関と変わらないただの大学になってしまうのがとても惜しいと思います。自治文化を有している教育機関は今や稀有です。維持が大変な分、得るものも大きいです。どうか投げ出さず、両者の意見を取り入れつつ、より良い解決の方法を探してください。京都の一市民として、期待しています。

 

賛同者からのメッセージ集(2月15日21時現在まで)

◯小田研太郎さんのメッセージ

京都大学が、以前の素晴らしい大学に戻ってくれることを、望んでます。

◯三宅一徳さんのメッセージ

大学の様々な構成員と市民に情報を公開して、この問題を解決することを望みます。

◯福永真理さんのメッセージ

吉田寮の出来た歴史と今までのいきさつ、どんな学生が学んで卒園(又は数年間を過ごしたか)していったかの記録、建物と周辺をどのように建てて、どう直して今に至るかも記して一つにまとめて欲しい。これはわたしにも読めるよう発表してください。それをもとに、この寮がどのように要るのか、また学生を退出させて無くしたいのか、それぞれの立場の者同士が話しあうべきです。
18歳以上の大人なのですから相手を説得しようとか、どんなことでも、顔をちゃんと見て話し合えるはずです。今までのいきさつを読むところでは、ありもしない事を言った言わないの文書があったり、話し合ってないのにしたみたいになっていたり、かなり拗れているようですね。
それなら、関係ない第三者、といってもまったくの外野は面倒くさいから、せめて京都の住民に見守ってもらう中で話し合うとかしたらどうでしょう。なんなら完全なる生中継で全国に発信するとか、方法は幾つでもあると考えられます。
わたし自身の気持ちとしては、寮を大切に使って次の世代に伝えていってほしいです。大学の偉いさんのうちの誰が寮から学生を追い出そうとしていて、誰が学生を守っているのか、名前までは知りませんが、学生の自治を認めないなんて、「しっかりするな」と言っているようなもの。何も無法地帯を作れというわけではありません。学生であり、寮生である立場から、大学や事務局と交渉したりして学生を守ることもし、なにかあれば学生にきちんとさせる寮長的な事も、両方出来るはずです。
一度つぶしたら二度と同じものは造れません。学生が住んでこその寮です。存続させるほうに賛成してます。

◯三宅ひとみさんのメッセージ

自由と自主・自立を誇る京都大学、また世界につながる窓を掲げる京大の精神に逆行する吉田寮自治会への行為に大きな落胆と驚怖を感じます。 このような大学側の方針が改められなければ、次代を担う若者達へ京都大学への進学を奨励できなくなります。

◯村山俊さんのメッセージ

元寮生です。大学当局のやっていることはあまりに一方的で、これまで一つずつ自治会と積み重ねてきた信頼を壊すものです。
権力の差を利用した一方的な情報発信とこれまでの自治会の努力をネグレクトした主張は到底許すことは出来ません。
教員有志の皆さんに賛同し、大学当局に強制退去勧告の撤回と協議の再開を要求します。

◯三宅優希さんのメッセージ

多様性を、自由を、対話を重んじる姿勢を、吉田寮自治会を、大学のあるべき姿を、絶対に守りぬきましょう。

◯北井 賢太朗さんのメッセージ

 最近京大当局暴れすぎ

◯山野井直樹さんのメッセージ

 確約書が有効か無効か、確認訴訟は出来ないのでしょうか?

◯ちょんかんすさんのメッセージ

圧倒的な権力を持つ側が団交を拒否し寮自治会に不利な少人数交渉に応じさせておきながら、対話とは言えないような恫喝を含めたやり方をする事に非常に嫌悪感を感じる。 これまでの団交で作られた確約書を反故にした副学長と同調する学長は即刻態度を改め、先日の声明を撤回、もう一度今後どうするかを、寮自治会との団交を再開して学生達と真摯に対話し向き合うべきだ。

◯服部清彦さんのメッセージ

幻想持たず安倍とガチの勝負だ

◯高向正和さんのメッセージ

この問題はけして、大学執行部と寮生だけの問題ではないと考えます。教職員の方はもとより、私のような一市民にとっても、とても大事なことだと考えます。今回、京都大学の教員有志の方々が、こうして声明を発表されることに、心からの敬意を表するとともに、このアピールに対して、心からの賛同を送ります。

◯峯陽一さんのメッセージ

卒寮生としてたいへん心を痛めています。強制退去で座り込みのようなことになれば、寮生たちと一緒に最後まで座り込んであげたいと思っております。

◯藤井修二さんのメッセージ

新棟における吉田寮の自治活動への介入は批判に値するものとして同意します。しかしそれ以外にも注目して欲しい点もあります。吉田寮では食堂において文化的な活動をしており、学生・市民に向けてアピールをしています。しかし大学当局は食堂の使用を、何故か現時点において禁止を命じてきました。何の意図があるのか疑問ですが、これは不必要な措置です。

◯尾方司貴さんのメッセージ

大学当局の自治潰しを止めるために一緒に頑張りましょう!!

◯松本彩乃さんのメッセージ

 教授の先生方素晴らしいです!!!

◯中村昌典さんのメッセージ

京大当局は、吉田寮自治会と解決に向けてきちんと話し合って下さい。

◯伊藤朱美さんのメッセージ

京都大学当局の非民主的なやり方が伝わっておらず、単に暴力的な寮生などが、勝手に居座っているという認識の市民は多いです。多方面から大学の現状の問題点を広く市民にも伝えていかなくてはならないと思います。大学の自由を守りましょう。

◯山本英司さんのメッセージ

「『大学執行部の本当の狙いが「寮生の安全確保」ではなく、自治寮としての性格の解体である』とは全くの誤解である」ことが事実によって証明されることを期待しています。とにもかくにも大学執行部は吉田寮自治会との話し合いに応じるべきです。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

京都市左京区在住の一市民です。昨年吉田寮を訪れた際に見かけた「表現内容の如何に関わらずパターナル(家父長的)な振る舞いはやめよう!←DV、ハラスメントの温床」という貼り紙が強く印象に残っています。寮生同士の対等な関係を呼びかけるものでした。こういった共同体を築いてきた吉田寮自治会が今まさに大学執行部に対話を拒否され、力関係のもとに不当な圧力を受けていることに心を痛めています。現棟の建造物としての価値、そして何より学生たちの自治の精神を絶やさないでほしいと切に願います。

◯本田藍さんのメッセージ

吉田寮OGで、寮の影響を強く受け現在福岡で海女をしている者です。今は遠隔地で直接動くことは出来ませんがこのような声明大変心強く思います。組織のトップが大学の多様性を排除し独裁的に管理することに私も強い反感を覚えます。これからもネット上で関われることは積極的に関わっていきたいです。

◯鍵山千尋さんのメッセージ

京都大学の貴重な文化が失われないことを願っています。

◯谷在野さんのメッセージ

吉田寮自治会を断固支持する

◯張爽さんのメッセージ

職員の方々が声を上げてくれて本当にありがとうございます。自治寮にお世話になってとても助かった留学生として、吉田寮の自治を応援しています。

◯藤川佳三さんのメッセージ

寮生による自治の存続を要望いたしまします。

◯宮西建礼さんのメッセージ

吉田寮元寮生の宮西建礼と申します。元寮生として吉田寮運動に関わってきました。三年前、吉田寮の宣伝のために「吉田寮の著名な出身者リスト」を制作していたところ、50年前の解散した吉田寮のOB会「舎友会」の名簿の中に(731部隊の)石井四郎の名前を見つけました。
名簿によると、石井四郎は1920年に吉田寮を卒寮しました。
やはり極めて不名誉なことであるので、わたしはその事実を公開するべきか非常に迷ったのですが、現役の寮生数名に相談したところ彼らは公開するべきであると口を揃えました。しかしわたしは(やはり気の進まない仕事であるので)公開を何年も先送りにし、昨年の春に現役の寮生に「やはり公開するべきことである」と説得され、ようやく公開を決断しました。昨年7月の吉田寮イベント「きてみな吉田寮」の歴史展示で寮生有志が一度目の公開をし、今月東京で行われた吉田寮写真展のトークイベントで私が二度目の公開をしました。
この件につきまして、わたしは、なぜ現在の寮生は不都合な歴史的事実に向き合う勇気を持っているのかということを考えていました。おそらくそれは吉田寮の定める基本的なルールと無関係ではないと思います。
「問題が起きたら、当事者同士で対等に、誠実に、話し合って解決すること」
そして話し合いの大前提となるのは、事実を事実として認めることです。白を黒だと言わないことです。信じたいことは真実で信じたくないことは嘘だと決めつけないことです。これは話し合いの前提であると同時に、学問の前提であり、社会運営の前提でもあります。非常識なエピソードに不足しない吉田寮生ではありますが、この点についてはいたって常識的で規範的だと感じます。
わたしはそうした彼らにこそ、高等教育機関たる京都大学の福利厚生施設たる吉田寮を運営する資格があると真剣に考えています。そして新世代の寮生に高等教育を受ける人間の正しいあり方を示してもらいたいです。
寮内がちらかっているとか、猫がいるとか、アヒルがいるとか、第三者が見たら眉をひそめるような側面も確かにあるのですが、一方で先述の事実を事実と認める態度、これさえ失わなければ、他の問題は彼ら自身が解決していけるでしょう。
そのためにもわたしは吉田寮存続を目指し寮生の運動を支援しています。よろしくお願いいたします。
なお東京のイベントで配布した資料を添付いたします。一部内容がかぶっておりますがお許しください。これについても著作権を放棄します。

吉田寮と社会の関わり 宮西建礼(2009年入寮、2011年卒寮)

1 澤柳事件

吉田寮は1913年、京都帝国大学の学生寄宿舎として創設されました。
そもそも帝国大学とは国家の必要とする学問を学生に教授し、またそれらを研究することを目的とした機関でした。最初の帝国大学である東京帝国大学は「官僚の育成」に熱心にはげみましたが、二番目の帝国大学の京都帝国大学はおそらくは西園寺文部大臣の意向で「自由で新鮮な、そして本当に真理を探究し、学問を研究する学府としての大学」を目指しました。
しかし学者の探究する真理が、政府にとって必ずしも都合がいいとは限りません。都合が悪い場合、政府は学者を免職にするなどして研究を妨害するかもしれません。 そこで京都帝国大学においては、政府の教育研究活動への介入を防ぎ、同時に学問の自由と少数意見の保護を実現するために、教授等の教員による合議制の組織「教授会」が教授を任免を行なっていました。これを教授会自治といいます。
しかし1913年、澤柳政太郎総長は教授会を無視して数名の教員を解雇しました。これに対して法学部(法科大学)の教員らは「教授の任免権は教授会にあり」と唱えて、澤柳総長に教授会の尊重を要求しました。対立は次第に深刻化し、1914年1月、ついに法学部の全ての教員が澤柳総長に辞表を叩きつける事態に発展しました。困ったのは法学部生です。このままでは学びの場が消えてしまいます。そこで法学部生は教員の復職を目指して、教員を支援する運動を開始しました。 法学部生は完成間もない吉田寮(学生寄宿舎)の旧印刷室(会議室)に運動の本部を置きました。これは寮生の半数が法学部生であったこと、吉田寮に電話があったことが理由だと考えられます。 彼らはまず教育界の重鎮にこの事態を仲裁するよう頼んでまわりました。同時に学生大会を開催し、「学生は教員と進退を共にする」と決議。学生の代表を文部省に派遣して奥田文部大臣と二度面会、不退転の決意を伝えました。学生は澤柳総長を任命した奥田文相がこの事件の黒幕だと睨んでいました。 教員と学生が一体となった運動の結果、文部大臣は「教授ノ任免ニ付テハ総長カ職権ノ運用上教授会ト協定スルハ差支ナク且ツ妥当ナリ」と教授の任免に教授会が関与することを認め、バックに見捨てられた沢柳総長は京大を去りました。
文部大臣のお墨付きを得た事実はやはり重く、この後、教授会自治は他の大学にも定着しました。また京大では、総長の学内選出が議論されるようになり、1915年、荒木寅三郎医学部教授が総長に選出されたことでこれも実現しました
。(荒木寅三郎総長は吉田寮の入寮選考に寮生が関与することを初めて認めました)
この一連の出来事により、京大の大学自治と学問の自由は大きく前進しました。

2 京都学連事件

しかし大学の自治、そして学問の自由の前進は結局のところ一時的な現象にすぎませんでした。政府がなりふり構わないやり方で大学を管理統制下に置こうとしたからです。 1925年、マルクス主義の研究サークルに所属していた寮生が、マルクス主義者の弾圧を目論む特高警察に検束され、のちに出版法違反、不敬罪、そして治安維持法違反で起訴されました。結局、出版法違反と不敬罪については罪に問われなかったものの、「私有財産の破壊を協議した」として治安維持法違反で有罪になりました。彼は他の事件(3・15事件)と併せて6年服役し、出所後に自殺しました。
この事件――京都学連事件は、日本内地で治安維持法が適用された最初の事例となりました。治安維持法の摘発対象は次第に拡大され、宗教団体や芸術団体、学術団体、ついには体制を批判する者全てを検挙する悪法となりました。そして自らブレーキを壊した大日本帝国は勝ち目のない戦争を行い、最後には数百万人もの自他国民を道連れに崩壊したのです。
また、京都学連事件では学生のみならず教員も捜査の対象となり、経済学部の河上肇教授に対して家宅捜索が行われました。
京都学連事件ののちも政府には繰り返し大学に干渉し、1933年の瀧川事件では、文部省が(無政府的であるとみなした)法学部の瀧川幸辰教授を休職させました。法学部の教員らは「教授会自治の侵害」だと抗議し辞表届を叩きつけ、法学部生も退学届を提出するなどして教員らを支援しましたが、文部省の決定は覆らず、瀧川自身を含む大勢の教員が京大を去ることになりました。この事件は言論弾圧の対象が共産主義から自由主義に拡大した転換点だと言われています。また、「大学自治と学問の自由の総本山」とみなされていた京大はついに国家に屈服し、以後は国家の歯車の一つとして戦争に協力しました。そして言語を絶する犯罪に加担することになりました。

3 731部隊

第一次世界大戦では化学兵器が実戦使用され、何百万人もの兵士が死傷しました。これを受けて1925年、ジュネーブ議定書が締結され、各国は化学兵器や細菌兵器の実戦使用が禁止されました。しかし保有や研究は禁止されなかったため、各国は化学兵器や細菌兵器の威力向上に力を注ぎました。大日本帝国も例外ではなく、生物兵器の開発を積極的に推進しました。その実行役を担ったのは、満州ハルビンの関東軍防疫給水部本部(満州第731部隊)で、細菌兵器を開発する過程で、中国人やロシア人の捕虜らを細菌に感染させたり、凍傷にかからせたり、解剖したりといった生体実験に手を染めました。また生物兵器を実験的に実戦使用した疑いももたれています。
そして特筆するべきは一連の細菌戦プログラムは731部隊の単独犯ではなく、産・官・学・軍が強力にバックアップしていたという事実です。もちろん京都帝国大学も731部隊の共犯になりました。
戸田正三医学部長は研究資金を731部隊から受け取るかわりに大勢の医学部関係者を731部隊に出向させました。また、731部隊隊長で一連の細菌戦プログラムの首謀者と目される石井四郎軍医中将は京都帝国大学医学部の出身で、戸田正三ら京大関係者のコネで京大の人材を731部隊に引き込みました。 さて、石井四郎についてですが、最近、石井が1920年に吉田寮を卒寮していたことがわかりました。石井が入寮した理由としては①開設当時の吉田寮は大学当局が入寮選考権を持ち、成績優秀な学生を優先的に入寮させていたこと②石井が医学部を首席卒業するほど成績優秀であったこと、が理由として考えられます。
寮生が入寮選考権を持つのは1916年に荒木寅三郎総長が就任し、寮生の入寮選考への関与を許してからです。なお、石井四郎はのちに荒木寅三郎の娘と結婚しました。 この三つのエピソードは、最初に大学自治の発展を、次に大学自治の衰退を、最後に大学自治を放棄した大学の末路をそれぞれ語ります。そして、われわれはそこからさまざまな教訓、たとえば大学の自治、学問の自由、大学での軍事研究、研究倫理などを汲み取ることができるはずです。これらの出来事に吉田寮が何らかの形で関わっていること、吉田寮に関連づけて教訓を思い出せること。それが吉田寮の一番の歴史的価値だと思います。
もっとも、これらの事実は近年までほとんど知られていませんでした。石井四郎の在寮については、3年前に私がOB名簿に石井四郎の名を発見してはじめて明らかになりました。
それにしても、石井四郎の在寮はなぜこれまで忘却されていたのでしょうか。おそらく、知ってはいたけども語らなかった人がいたのでしょう。きわめて不名誉なことですから。しかし、不名誉だからといって事実を話さなければ、あったことがなかったことになってしまいますし、歴史的事実から教訓を得ることもできなくなってしまいます。
ここでの教訓は、「高等教育で授けられる科学知識の数々は、人間や人類に恵みをもたらすこともあれば、破滅をもたらすこともある。使う人間次第なのだ。高等教育を受ける(受けた)われわれは石井と同じ轍を踏んではならない」ということでしょう。
科学が進歩すればするほど、科学がもたらす破壊や殺戮の規模も大きくなります。科学の進歩が著しい今日だからこそ、われわれはこの教訓をつねに心に刻んでおかねばなりません。それは吉田寮生だけではない、高等教育を受ける(受けた)全ての人間の義務だと思います。
とはいえ、吉田寮の元寮生の名簿に石井の名前を確認したとき、わたしは非常にショックを受けました。(寮の評判が落ちるから)社会に対して公開するべきではないのではないかと迷いました。しかし現役の寮生たちに相談すると、彼らは「公開すべきだ」と口を揃えました。我々にとっても社会にとっても大事なことだからと。そして彼らに背中を押されるかたちで、今こうして公開しているのです。なぜ現在の寮生は不都合な歴史的事実に向き合う勇気を持っているのでしょうか。それは吉田寮の基本的なルールと無関係ではないと思います。
「問題が起きたら、当事者同士で対等に、誠実に、話し合って解決すること」
そして話し合いの大前提となるのは、事実を事実として認めることです。白を黒だと言わないことです。信じたいことは真実で信じたくないことは嘘だと決めつけないことです。これは話し合いの前提であると同時に、学問の前提であり、社会運営の前提でもあります。非常識なエピソードに不足しない吉田寮生ではありますが、この点については至って常識的で規範的だと感じます。
わたしはそうした彼らにこそ、高等教育機関たる京都大学の福利厚生施設たる吉田寮を運営する資格があると真剣に考えています。そして新世代の寮生に高等教育を受ける人間の正しいあり方を示してもらいたいです。
そのためにもわたしは吉田寮存続を目指し寮生の運動を支援しています。私個人では力不足ですが、皆さま方のご支援を頂けるのならば吉田寮の存続は決して夢物語ではないと確信しております。吉田寮をよろしくお願いします。ありがとうございました。

◯阪上雅昭さんのメッセージ

緊急アピールありがとうございます.趣旨に全面的に賛同いたします.山際総長には吉田寮自治会との話し合いを強く求めます.