吉田寮問題にかかわる教員有志緊急アピール

京都大学の教員有志が主体となって「吉田寮問題にかかわる教員有志緊急アピール」を発表しました。 呼びかけの主な対象として想定しているのは京都大学の教授会構成員ですが、一般の方にもご賛同いただけます。賛同の受付は終了しましたが、今後も関連情報などをアップしていく予定です。

賛同者名簿(3月14日6時現在)

賛同者名簿(3月14日6時現在)

これまでご賛同いただいた方の中で、「匿名希望」以外の方々の一覧です。京都大学の意思決定についてより大きい権限を持つ者はより大きい責任をもつという観点からカテゴリー別に配列し、それぞれのカテゴリー内部では「あいうえお順」で配列しています。記載漏れ、記載ミスなどがありましたら、事務局(komagome.takeshi.5m at kyoto-u.ac.jp、atは@に変換してください)までご連絡ください。

〇教授会構成員

足立芳宏,安部浩,石井美保,岩城卓二,江田憲治,大倉得史,岡田温司,岡田直紀,川島茂人,川島隆,木村大治,小関隆,駒込武,小山哲,酒井敏,阪上雅昭,塩田隆比呂,柴田一成,清水以知子,高嶋航,高山佳奈子,武田宙也,田邊玲子,谷川穣,中嶋節子,那須耕介,西平直,福家崇洋,藤原辰史,細見和之,松本卓也,水谷雅彦,水野広祐,森川輝一,森本淳生,山内淳,匿名希望2名

〇教授会構成員以外の教員

梶丸岳,菊地暁,佐野泰之,拓徹,吉田聡,匿名希望2名

〇京都大学構成員(職員)

池田あいの,佐藤泰子,宮本託志,匿名希望2名

〇京都大学構成員(学生、院生、聴講生、科目等履修生、研究生、研修生等)

青木克也,油田昇太,雨宮愛,飯田悠哉,石原卓典,伊藤玄,井上卓也,井上龍,上村太郎,大木圭佑,近江信幸,尾方司貴,岡本瑞紀,糟谷悠,片桐啓,加藤一樹,川上航,北井賢太朗,小亀亮太,児島彬歩,米谷拓哉,笹谷晃平,四十坊純也,杉谷和哉,鈴木伸尚,高田亮,竹田響,辻侑真,徳山大弥,長江光斗,中川雄太,中村俊輔,中村聡一郎,西澤園子,西山隆介,長谷川槙也,早瀬達郎,福井和加奈,福島直樹,福田然,福田将や,藤井修二,松本彩乃,松本健吾,三宅優希,横井理香,吉田耕太郎,渡邉幸暉,匿名希望39名

〇市民(京都大学構成員以外。名誉教授や同窓生などを含む)

芦刈成人,安部翔平,荒井健吾,飯島由美子,池田めぐみ,石田紀郎,石田やわら,伊藤江利子,伊藤朱美,井上明彦,伊原康隆,岩島史,植田智道,頴川光樹,恵守拓人,大石高典,太田和成,太田里奈,大西健夫,岡田純爾,岡部達彦,小田研太郎,落合範貞,鍵山千尋,片岡一竹,金井佐知子,金澤大,金丸博,河合駿太,川北日出夫,雁木聡,岸郁子,岸啓一,岸彩子,岸本圭子,衣川正和,木村廣元,木元豊,黒田真樹,河野啓介,小坂純一,小島庸平,小林致広,齋藤星耕,坂元慶一,坂本恕,佐々木伊津子,佐々木祐,佐谷峰世,佐藤嘉幸,塩澤明子,志紀島啓,柴田紘亨,島岡眞,島津瑠美,清水陽子,白石壮一郎,杉山茂,鈴木淳史,鈴木博,関根シオン,千田麻紀,高向正和,高山淳一,竹本恵子,田嶋千尋,田中智幸,田中直史,谷在野,田沼幸子,田沼直也,田畑元治,田渕路昌,田原孝平,ちょんかんす,築地静香,寺坂美紀,土井由紀子,冨岡勝,中島涼太,中津めぐみ,中野和子,中原耕,中原秀太郎,中村明彦,中村昌典,中村優子,中村有希,西垣安比古,西澤真樹子,二関知美,二ノ倉雅夫,根津朝彦,野々垣真美,野間野太郎,橋野高明,橋本章平,橋本竜太,長谷川浩,服部清彦,林太朗,林葉月,林保美,樋口徹,ひびのまこと,平野健,福永真理,藤井あゆみ,藤井あきら,藤川佳三,藤谷祐太,藤野智子,藤本なほ子,方逸超,星野倫,星野文男,星山剛,本田藍,本田達徳,本田理彩,前田健志,前田浩之,前田理佳子,蒔田直子,真喜屋龍,松浦満夫,松田舞,峯陽一,三野善央,三宅千晶,三宅ひとみ,三宅一徳,宮崎喜久子,宮崎洋子,宮西建礼,村井涼,村山俊,茂住衛,持田良和,盛岡晋吾,盛田良治,八谷三和,山岡幸司,山口素明,山下紀志子,山中竜,山野井直樹,山本英司,山森亮,横山考,吉田耕士,吉田千恵,吉田響,吉永剛志,米田量,李栄恵,ルーシー・ブラウン,和田良一,渡邊義明,渡邊史郎,渡邊洋之,匿名希望49名

第3次集約を4月24日(水)に設定します。

 3月13日、川添信介厚生補導担当副学長は「吉田寮自治会の「表明ならびに要求」について」と題する文書を発表し、吉田寮自治会との話し合いの再開に応じない姿勢をあらためて明らかにしました。主な理由は、寮生が新棟居住にあたって大学当局が示した条件(「吉田寮の今後のあり方について」(イ)の(1)で示された条件)を認めていないことです。
 もともと大学執行部が全寮生退去を求めた理由は「老朽化」した現棟における「安全確保」だったはずです。なぜ新棟への居住にあたって、自治寮としての性格の否定にかかわる諸条件を受け入れなくてはならないのか。大学執行部は、今回の文書でも説得的な理由を提示していません。「とにかく決まったことだ、黙ってしたがえ、したがわない者は出て行け」と言わんばかりの態度です。
 大学執行部が本当に寮生の「安全確保」を最優先に考えているのだとすれば、新棟への居住をまずは認めた上で、入寮選考のあり方や、現棟の補修・耐震化についての話し合いをすべきではないでしょうか。それとも、大学当局の一方的な要求をうけいれない寮生の生命安全はどうなってもよい、というのでしょうか。
 本日を第2次集約の期限として設定していましたが、状況に鑑みて第3次集約を4月24日(水)と再設定し、引き続き呼びかけを続けます。 
 賛同者名簿をご参照の上、身近な方にも声をおかけください。また、すでにご賛同いただいた方の中でもメッセージを寄せられていない方は、「賛同フォーム」よりメッセージをお寄せください(その場合、メッセージの冒頭に「メッセージ追加」とご記入ください)。

 

賛同者からのメッセージ(3月12日20時現在まで)

◯細見和之さん(呼びかけ人)のメッセージ

この間の京都大学による吉田寮に対する一連の振る舞いが、大学の管理強化、大学のサービス産業化という大きな流れのなかにあることは疑いありません。
私は1980年代に大阪大学の学生として自治寮の暴力的な解体という事態に立ち会いました。座り込んでいる私たちを機動隊員がひとりひとり引っこ抜き、空っぽになった寮の建物をクレーン車とブルドーザーが破壊していったあの光景を、私は忘れることができません。
大阪大学の自治寮が解体されたときには、寮生はすでにとても少なくなっていたという事実がありましたが、吉田寮にはいまもたくさんの学生が暮らしています。
学生自治の精神を京都大学はいったいどう考えているのか。その原点に立って、京都大学の執行部が、吉田寮に現に暮らしている学生たちとの真摯な話し合いの場にいまこそ出てくれることを願っています。

◯那須耕介さんのメッセージ

現寮生のみにこれまでのつけを負わせるせることには反対です。今後の寮のあり方を考えることは、現寮生の生活と学業の環境を脅かさなくてもできるのではないでしょうか。

◯酒井敏さんのメッセージ

私には吉田寮に住めるとは思えませんが、そんな場所が京都大学に存在することは素晴らしいと思います。自分にできないことができる人が、大学にはいっぱい居て欲しいと思います。

◯前田健志さんのメッセージ

立て看問題然り、その内に卒業式にまで首を突っ込んでくるのではないでしょうか、自由な校風を守り抜くためにトコトン闘うことが、吉田寮と京大の価値を一層高める。あの手この手で新たな闘争を作り出し理論武装する。そのことで自らを鍛え、ブラッシュアップする。しまいには京都に不可欠な名所、民主主義の聖地となる。取り壊そうにも壊せなくなる。その日が来るまで応援したい。微力ながら関わりたい。

呼びかけ人のメッセージ集

(これまで賛同者のメッセージんに交えて公開したものを含めて、呼びかけ人のメッセージをここにまとめて掲載いたします。3/12 細見和之さんのメッセージを追加しました)

◯細見和之さんのメッセージ

この間の京都大学による吉田寮に対する一連の振る舞いが、大学の管理強化、大学のサービス産業化という大きな流れのなかにあることは疑いありません。
私は1980年代に大阪大学の学生として自治寮の暴力的な解体という事態に立ち会いました。座り込んでいる私たちを機動隊員がひとりひとり引っこ抜き、空っぽになった寮の建物をクレーン車とブルドーザーが破壊していったあの光景を、私は忘れることができません。
大阪大学の自治寮が解体されたときには、寮生はすでにとても少なくなっていたという事実がありましたが、吉田寮にはいまもたくさんの学生が暮らしています。
学生自治の精神を京都大学はいったいどう考えているのか。その原点に立って、京都大学の執行部が、吉田寮に現に暮らしている学生たちとの真摯な話し合いの場にいまこそ出てくれることを願っています。

 ◯高山佳奈子さんのメッセージ

これまでの経緯や学生の提案を無視した朝令暮改の措置は、京都大学の歴史と社会的評価を著しく傷つけ、基本的人権を侵害しています。京大の文化的価値と信用を取り戻しましょう。

◯藤原辰史さんのメッセージ

執行部のなかで寮生に対する不信が「創出」されているような気がします。吉田寮生に対する一方的なイメージを「創出」して、そうだそうだと同意して、それを元に寮生への対応が進められているような気がします。大学での学問の訓練の過程でわたしたちが学んだのは、そんなときに、まわりの空気に流されず、敷かれたレールから降りて、冷静になって事実と向き合うということでした。良識ある学問の担い手であれば、いまから団体交渉約束の破棄の段階にまで戻って検証することもできるはずだと信じています。

◯木村大治さんのメッセージ

以前、学生生活委員会第3小委員会(寮問題等担当)のメンバーでした。大学側の立場、寮生側の立場、双方をそれなりに理解しているつもりです。(その均衡点である「団交」に出席するのは、大変だが貴重な経験でした。)しかし今回のように、大学側が、これまで長年にわたって続いてきた寮との関係を、突然掌を返したように変更して強圧的な態度に出るのは非常に不自然に感じます。寮生側も歩み寄りの姿勢を見せているわけですから、大学側も問答無用という姿勢は改めるべきだと思います。これは本学教員の多くが感じていることではないでしょうか。

◯水野広祐さんのメッセージ

長い歴史をもつ吉田寮とその寮を支えてきた自治会の存在を尊重し、また大学と吉田寮との交渉の積み重ねの経緯を踏まえ、一刻も早く大学執行部が吉田寮自治会との交渉の場にもどることを願います。

◯小関隆さんのメッセージ

今からちょうど100年前、パリで開かれていた第一次世界大戦の講和会議でキーワードとなったのがself-determination でした。「民族自決」と訳されがちですが、「自己決定」の主体は民族とは限りません。よく知られている通り、このキーワードには多様な解釈を許す曖昧さがあり、少なからぬ紛争や悲劇の火種となったことは否定できません。とはいえ、紆余曲折はあったにせよ、以降の世界が「自己決定」の権利を尊重する方向で努力を重ねてきたことも事実です。吉田寮の問題もまた、こうした1世紀にわたる大きな歴史の流れの中にあります。

◯岡田直紀さんのメッセージ

 川添副学長、2月12日付の「吉田寮の今後のあり方について」という文書を拝見しました。これは副学長御自身で書かれたものではないにせよ、あなたが主導してまとめられたものと理解しています。

 この後に吉田寮自治会から2月20日付で出された「声明」と合わせて「あり方について」を読むとき、あなたと同世代の大人として同情を禁じえません。「あり方」が、一方的な通告として有無を言わさずこちらの言いうことを聞けと主張し、問題解決に向けた努力の跡など一切感じさせないのに対して、「声明」には多くの寮生が議論を重ね、何とか打開の方向を見出そうと努力した跡が感じられます。(このことは、分断と対立を避けるために南の島でいま懸命に力を尽くしている人たちの姿を私に想起させます。)どちらの文書が読む人の心を動かすかは説明を要しないでしょう。この寮生たちのように、副学長にもひたむきな努力を傾けた時代がかつてはあったのだろうと、自分を振り返って推測します。歳を重ねるということは、必ずしも賢くなるということではないのですね。

 川添副学長、あなたの教えを受けた学生たちのことを考えると、同じ教員として同情を禁じえません。講義とは義を講ずると書きますが、「あり方について」を読んだ学生たちは、あなたが講じていたのは義であったのかと疑わないでしょうか。自分を指導してくれた教員に対して今も私が持ち続けている尊敬を、あなたの指導した学生は果たして持つでしょうか。

 川添副学長、「あり方について」が広く知れわたるようになった今、一人の人間として同情を禁じえません。人が心ならずも嘘をつくことを私は承知しています。そして、平然と嘘をつく人はそう多くはいないのだとも。居住者の安全確保のためにと説明されてきた大学当局の対応が実は虚偽であり、真の狙いは自治寮の解体にあったことが「あり方について」で宣言されました。あなたは強いられてこうした対応を取られたのでしょうか。だとすれば実にお気の毒ですが、それとも・・・。

 「声明」を通じて吉田寮自治会からボールが投げ返されました。直球です。このボールをどのように受け止められるでしょう。注目しています。 .

◯松本卓也さんのメッセージ

「京大は、おもろい」――京都大学の2019年度の公式パンフレットの表紙にでかでかと踊るキャッチコピーである。

ここ数年で、これまでの京大がもっていた、どこか危うげであり、それゆえにときとして強みにも転化しうる隠れた持ち味であったはずの「おもろい」「変人」といった言葉が、「上から」「堂々と」「公式に」使われるものへと急激に変質してしまったように感じる。

吉田寮を始めとする自治寮、そして京都大学にギリギリ残っている学生自治の文化が、かつての「おもろい」「変人」文化の一翼を担うものであったとすれば、現在起こっていることはそれに対する「文化盗用」であるとみなすことが許されよう。

かつての「おもろい」「変人」といった言葉がもっていた境界的な性質――それは、さまざまな雑多なもの、怪しげなもの、狂いに満ちたものとのあいだに生まれ、ときにはさざまな格闘の末に得られた文化である――は、この文化盗用によって見るも無残に脱色されてしまい、「ソフィスティケート」された商品になりはててしまった。

もちろん、それは時代の流れなのかもしれない。現代とは、「カフェイン抜きのコーヒー」が流行するように、本質を失った形骸が本物のふりをして大手をふって流通する時代であるのだから。

こういう時代なのだから、大学は思い切って、「京大は、おもろい」などと言わずに、「真面目」かつ「本格派」な路線を突き進むこともできたであろう(現に、他の大学はほとんどがそうしているではないか)。そうすることもできずに、いまだに「おもろい」「変人」というコンセプトに未練タラタラであるばかりか、それを「客寄せパンダ」として掲げようというのだから、滑稽であるとみなされても仕方あるまい。

時代の流れに対して無批判に追従するのか? それとも、今も残る「おもろい」「変人」の伝統の燃えカスを生かして、その流れに可能な「捻り」を加えていく余地を確保していくのか? その選択は京都大学の全構成員によって決定されるべきであろう。

◯石井美保さんのメッセージ

「あらゆるものの中心が、キッチンと図書館というふたつの施設からなる傾向にあったことは重要だ。」
 2011年にニューヨークで起きたオキュパイ運動についての著作の中で、デイヴィッド・グレイバーはこう書いている。台所と図書館。それは自発的なコミュニティの形成と持続にとって必要欠くべからざるものだ。本とキッチンを中心に、生活の場であり議論の場でもある空間が創りだされ、人びとが自然と集まり、有機的なネットワークがじわじわと広がっていく。それは並木道に置かれたベンチのように見栄えのいいものじゃなく、むしろむさ苦しくて薄暗い居場所かもしれない。でも、野生の勘をもった人たちや猫たちが集まってくるのは、いつもそうした路地的で裏道的な空間だ。
 そうした空間は、一朝一夕に作りだされるものではない。熱帯雨林のように微妙な均衡を保って維持されてきた有機的な関係性の網目は、一度破壊されてしまえば簡単には元に戻らない。いくら外から再生のお膳立てをしたとしても。
 学生食堂のテーブルにパーティションを作ること。
 無線を持った警備員を正門に常駐させること。
 立て看を撤去し、設置できる場所や期間や団体を管理すること。
 吉田寮から学生を退去させ、コミュニティを解体すること。
 これらはみんな、連動して起きている出来事だ。そうやって路地的なるものの排除を進めながら、他方では多額の宣伝費を使って「おもろい京大」のイメージが喧伝されている。おそらくは、お客様としての未来の学生たちに対して。管理する側にとってややこしい、薄暗い、危なっかしい要素を排除して、どこまでもクリーンで合理的でコスト・ベネフィットの帳尻が合うような、そんな大学と学生像が目指されているのだろうか。
 スターバックスがいくら宣伝しても真のサードプレイスにはなれないように、外注して作りだされた「おもろい京大」がアピールされても、虚しく歯がゆい。胃袋と知識を真ん中にして、人びとが根っこのところでつながりあい、大学からはみだしていくようなコミュニティを抱えもっていたほうが、大学としての底力は増すに違いない。路地的野生を手放してはならない。

◯小山哲さんのメッセージ

京都大学における学生寮の自治の制度的な根拠は、次の規程によるものです。


京都大学学生寄宿舎規程」(昭和34年2月10日 達示第2号制定)

  • 「第2条 各寮における寮生活の運営は、寮生の責任ある自治によるものとする。
  • 2 寮生の自治に関する規則は、寮生がこれを作成し、副学長の承認を得るものとする。その規則を変更しようとするときも同様とする。」


寮生が主体となって自治を行なう権利は、この第2条によって保障されています。
また、入寮者の選考については、寄宿舎規定の第4条に条文があります。

  • 「第4条 入舎する者の選考は、寮生代表の意見をきいて、副学長が行う。」


「寮生代表の意見をきく」ことが入寮選考の前提条件になっています。「自治会」という団体名は規程上はありませんが、慣行として、各寮の自治会が第4条の「寮生代表」に相当する団体とみなされてきたものと考えることができるでしょう。

2月12日付で発表された「吉田寮の今後のあり方について」のなかで、川添副学長が「もとより本学は、学生寄宿舎における学生の責任ある自治を尊重する」としながら、「本学は、基本方針を実施する過程において、吉田寮自治会による吉田寮の運営実態が到底容認できないものであることを認識するに至った」と述べているのは、上記の第2条の表現をふまえたものです。2月12日付の声明によって、京都大学は、吉田寮自治会は第2条で定められた「寮生による責任ある自治」を担う資格と能力を欠いていると判断した、と公的に表明したことになります。
問題は、そのような判断を下すにあたって、十分な調査と議論の手続きがふまれることなく、一方的に宣告がなされている、という点にあります。
大学執行部の「吉田寮自治会による吉田寮の運営実態が到底容認できないものである」という認識は、現在、各研究科・学部で教員が指導している(あるいは、将来、指導する可能性のある)院生・学生から、大学の規程によってこれまで認められてきた権利を剥奪し、彼らの生活と学業の環境を大きく変更する重大なものです。一般の教員には、大学執行部による上記の認識が適切なものであるのかどうかを判断するための具体的な情報も、オープンな議論の機会も、与えられてきませんでした。「多様かつ調和のとれた教育体系のもと、対話を根幹として自学自習を促し、卓越した知の継承と創造的精神の涵養につとめる」、また、「学問の自由な発展に資するため、教育研究組織の自治を尊重するとともに、全学的な調和をめざす」という京都大学の基本理念に照らして、このような状況は不適切であると考えます。吉田寮自治会との対話の道を閉ざさず、また、教授会で十分な説明と審議をおこない、学内の合意形成を図ることを求めます。

◯福家崇洋さんのメッセージ

 これまで大学当局は吉田寮生の退去を迫る理由として学生の安全確保をあげてきたが、今回当局から発表された文書「吉田寮の今後のあり方について」「現在吉田寮に居住する者へ」(2019年2月12日付)は、寮の「自治」を問題視しており、これまでとは異なる段階に入ったと考えている。大学当局は上記文書で、「時代の変化と現在の社会的要請の下での責任ある自治には程遠く」や「同様の無責任な行為・言動」などと書き、吉田寮の「自治」を問題視する。しかし、以上の理由では、根拠が弱く、当局側の印象操作にとどまっているといわざるをえない。
 「責任ある自治」は、「京都大学学生寄宿舎規程」第二条「各寮における寮生活の運営は、寮生の責任ある自治によるものとする。」から引用されたものである。この部分は後年改正されて追加された箇所で、規程制定時(1959年)には「自治」の文言は記されていなかった。しかし、当初の規程でも寮の「自治」に対する配慮はなされており、大学当局は寄宿舎の管理と運営を分けて考えていた。同時期に寄宿舎側が作成した規程制定に関する資料には、「その後芦田学生部長とも懇談する機会を得、我々の寮が自治憲章等によつて何等の不足もなく運営されている実状を説明し、管理規程だと云われる寄宿舎規程や細則が、管理の面にとどまらず選考その他の運営のあり方に迄変更を生ぜしめるのではないかと云う全寮生の懸念を伝えたところ、先に厚生課長から示されたのと同様の考え方によつて、その懸念の不必要な事を説明された。」(京都大学々生寄宿舎総務部「学生寄宿舎規程制定に関する経過報告」1959年2月26日付、『吉田寮関係資料』Ⅰ-100、京都大学大学文書館所蔵)とある。
 よって、規程制定後でも、これまで通り寄宿舎の運営(上記によれば「選考」も含む)は寄宿舎自身に委ねられることが考えられていた。このため、寄宿舎側は「たとえば自治憲章、実行箇条等を遵守する精神を失い、舎生の機関によつて秩序の維持が不可能となる」ような事態でなければ、「大学制定の細則によつて運営のあり方を拘束する事はできないものとなりました」(同上)と記している。
 その後、この寄宿舎規程については吉田寮側から問題提起がなされ、より運用実態にあわせるべく規程改正運動がなされ、結果的に1963年5月付で京都大学学生寄宿舎規程の改正が行われた。とくに重要と思われる改正箇所を以下に引用する(京都大学事務局『学報』3022号、1963年5月31日)。

  • 「第二条 各寮〔吉田寮、宇治寮、女子寮を指す 引用者〕における寮生活の運営は、寮生の責任ある自治によるものとする。
  • 2 寮生の自治に関する規則は、寮生がこれを作成し、学生部長の承認を得るものとする。その規則を変更しようとするときも同様とする。」
  • 「第四条 入舎する者の選考は、寮生代表の意見をきいて、学生部長が行なう。」

 まず、この規程改正が寄宿舎側の意向を汲んだものであることは、寄宿舎側が策定していた「京都大学学生寄宿舎自治憲章」(1955年、『吉田寮関係文書』Ⅰ−112)総則第二条「本寄宿舎は責任ある自治生活を営み、舎生相互の人格の向上を図ることを期する。」として、「責任ある自治」の文言が寄宿舎規程にも新しく盛り込まれたことからもわかる。選考についても、もとは「学生部長が選考を行う」だったのが「寮生代表の意見をきいて」が追加された。
 また、当時の京大の評議会に提出された文書「京都大学学生寄宿舎規程の一部改正について」(『評議会関係書類 昭和37年9月〜昭和38年7月』MP00071、京都大学大学文書館所蔵)では「改正理由」として、「学生寄宿舎の伝統ならびに現状に照らし、寮生による自治的運営を明確にすることにより、寮の教育的機能を一層向上せしめるよう、この規程の一部を改正するものである。」と記して、寮の「自治的運営」を大学当局自身が強く謳っている。規程内では学生部長(のち副学長に改正)の関与が記されているが、それはあくまで寮側の「自治」を前提にしたうえでのことである。
 当時の『学園新聞』1963年5月20日付にも、規程改正の記事「寮規定改正される “学生の自治”を強調」が掲載され、第二条について「寮生の“責任ある自治”が積極的に前面に押し出されている」として評価している。なお、同記事には、2月15日に寮生代表と大学側の間に「覚え書」が交わされ、第4条に「入寮選考については慣行を尊重する」という文言が付帯されたとある。
 よって、規程の改正は明らかに大学当局が寄宿舎側の「自治」を追認したものであり、この状況下で改正が行われたことを踏まえて、現行の規程を解釈する必要がある。
 なお、「京都大学学生寄宿舎自治憲章」はのちに「京都大学学生寄宿舎吉田寮自治憲章」(1965年制定)と変更され、上記の総則第二条につづいて、第三条「本領は自治寮たるをもつてその運営はすべて本寮寮生に依り行われ、本寮以外の何らの干渉を受けず本寮の自治の侵害は許さない。」が加えられている(『吉田寮関係資料』Ⅰ-101、上記項目は「吉田寮自治会自治憲章」に改正されながら継承)。
 以上の経緯を踏まえて、改めて大学当局が発表した「吉田寮の今後のあり方について」「現在吉田寮に居住する者へ」の問題点について考えたい。まず一点目は、「本学は、基本方針を実施する過程において、吉田寮自治会による吉田寮の運営実態が到底容認できないものであることを認識するに至った。・・・しかし、この不適切な実態は、・・・学生寄宿舎である吉田寮を適切に管理する責務を負う本学にとって、看過できないものである」とあるのは、寄宿舎規程制定時における、管理と運営の別を踏まえた大学当局の見解と齟齬があるということである。大学当局が管理主体として運営主体(吉田寮)の自治慣行を尊重・追認したうえで、安全確保のため退寮を促すことはまだしも、占有移転禁止の仮処分命令申し立てなどの法的対応に訴えることは、自治的な運営に対する侵害である。あわせて、その運営に含まれる新寮生選考を大学当局が一方的に禁止を言い渡したことも問題である。
 もう一点は、吉田寮の「自治」に問題があったか否かである。寄宿舎制定時における寮側の認識として、運営に支障がある状態とは、「自治憲章」等を遵守する精神を失って寮内の機関による秩序維持が不可能となった場合が想定されている。この精神とは、「自治憲章」総則に記されてきた、寮生が責任ある自治生活を営むことや寮生相互の人格向上を図ることであり、また自治寮として他からの干渉を受けないことである。少なくとも、現在の吉田寮がこの2点に体現される精神を守っていないとはいえず、むしろ自治寮を守り受け継ごうとしているがゆえに今日の事態にいたっている。よって、大学当局が言うように、吉田寮の「自治」に問題があるとは到底いえず、規程を理解していない当局側の干渉こそが吉田寮の「自治」を脅かしているのである。そのことを以て吉田寮の「自治」に問題があるかのように印象操作を行う大学当局の姿勢は、自己矛盾としかいいようがなく、学問の府が取るべき姿勢ではない。よって、大学当局は、運営を担う吉田寮の「自治」を尊重したうえで、吉田寮との対話・協議を再開することを何より求めたいと考える。

◯駒込武さんのメッセージ

 川添信介副学長

 ご無沙汰しております。

 今回の緊急アピールにかかわる記者説明資料を準備するために、「5年雇い止め条項の見直しを求める常勤教員の要望書」という10年ほど前の記者説明資料を引っ張り出してみたところ、当時理学研究科教授だった山極寿一先生、文学研究科教授だった川添先生に「呼びかけ人」として名を連ねていただいたことに気づきました。

 皮肉なことに現状では直接お会いしてお話することも難しい状況です。ですが、意を尽くて記せばきっとわか相互的な理解を築けるはずだという思いを励ましとしながら、この場を借りてメッセージを書かせていただきます。

 長文になるかもしれないことをお許しください。
 
 吉田寮をめぐる問題には、いろいろな要素が詰まっています。

 賛同者から寄せられたメッセージを読みながら、市民と交流する「京大の縁側」という卓抜な比喩にうならされたり、「立場の弱い人を受容してきたシェルターのような存在」という表現にはっとさせられたりしています。「京大は、おもろい」というけれどこのままでは「天然の「おもろい」は死に絶え養殖の「おもろい」が蔓延る」ことになるのではないかという指摘に考えさせられ、「とりあえず確保せねばならない利益、ノルマの達成、喫緊の課題の達成に追われがちな世の中」だからこそ吉田寮のように「無駄」に見える存在が大切という言葉に身につまされる思いもしました。なかには高校生として吉田寮に入ることに憧れていたのに…というメッセージもありました。

 こうした吉田寮の文化的価値ともいうべきものや、その存続が大学の社会的信用にかかわることについて、大学執行部を構成される役員層の方々もよくわかっているはずです。

 それにもかかわらずなぜ、今後吉田寮自治会を交渉相手としないという頑な態度をとり、さらに今も残る寮生が新棟に入居するにあたって「入寮募集を行わない」というような条件をつけるのでしょうか?私は、疑問に感じます。

 川添副学長の立場からすれば、大学当局の制止にもかかわらず昨年度入寮選考をおこなった点で吉田寮自治会はすでに交渉相手としての資格を失ったということになるのかもしれません。ですが、これまで大学当局が吉田寮自治会と交わしてきた「約束」の一方的な破棄を宣言した上での「全寮生退去」「入寮選考禁止」という措置は、あまりにも強権的な対応と私は感じます。

 「団体交渉」という集団的な威嚇の下になされた「約束」は無効であるという判断もあるようですが、その判断が適切である根拠の説明もまた一方的な形でしかなされていません。私自身も大学当局の一員(全学人権委員会委員)として吉田寮生を含む学生による「糾弾」の対象とされたことがありますので、「団体交渉」と呼ばれる場で教員の側が受ける圧迫感は想像ができます。でも、そうした事態の中でも学生たちの言い分にナルホドと思い、目を開かされる感じを覚えたこともあります。

 「団体交渉」における時間制限などについては検討の余地があると思いますが、これまでの「団体交渉」はすべて不当であり、だからその中でなされた「約束」もすべて無効であると宣言するのは、あまりに不当な一般化と感じます。また、その説明だけでは、そもそもなぜ寮自治会による入寮選考を再考すべきなのかという理由もわかりません。どうやら入寮選考が吉田寮自治会と執行部との対立の焦点のようですので、以下、この点について記させていただきます。

 これまで入寮選考は自治寮の重要な一側面となってきました。「京都大学学生寄宿舎規程」でも「入舎する者の選考は、寮生代表の意見をきいて、副学長が行う」と定めています。最終的に認可するのは副学長だとしても、実質的には「寮生代表の意見」を追認することが慣行と持されてきたことは、あなたもよくご存じのはずです。

 なぜ今になってそれを変えなくてはらないのでしょうか?

 1月17日の記者会見で、ようやくその理由が明らかにされたように感じました。吉田寮が「経済的に困窮した学生のセーフティネット」としての役割を果たしてきたことをどう思うかという質問に対して、あなたは、次のように答えられています。

 「正規」学生(学部学生、大学院生)と「非正規」学生(研究生、科目等履修生、短期交流学生等)では京都大学との関わり方が異なる、「非正規」学生を京都大学の福利厚生施設に受け入れるつもりはない、なぜなら「支払ってもらえるコストによって受けるサービスは違って当然と理解している」からである…。

 「支払ってもらえるコストによって受けるサービスは違って当然」。きっとあなたを含む大学執行部は、こうした原理に基づいた対応こそが「公平」と考えておられるのでしょう。まただからこそ、吉田寮自治会が、入寮選考において正規学生/非正規学生という立場上の違いよりも、「切実に入寮を必要としている」という経済的要因を重視してきたことを不適切と考えているのでしょう。

 「支払ってもらえるコストによって受けるサービスは違って当然」。

 一見するともっともらしい考え方ですが、私は疑問に感じざるをえません。吉田寮の問題は、もっとも基本的なところでは日々の居場所・寝所の確保にかかわる点において生存にかかわる問題です。そうである以上は、生存にかかわるニーズこそまず優先されるべきではないでしょうか?

 私などよりよくご存じのように、国立大学への運営費交付金が年々減らされている状況の中で授業料は高騰、正規学生で50万円、非正規学生でも研究生の場合には30万円を越える金額の支払いを求められています。授業料免除や各種の奨学金もありますが、一般的には正規学生しか対象としていません。たとえ正規学生であってもやむをえず留年して学部5回生、修士3回生となった場合には、授業料免除や奨学金を受けるのはきわめて困難になります。

 このように留年した学生、さらに非正規学生は、経済的困窮から逃れられる道が限られています。だからこそ、居場所・寝所については異なる優先順位が必要なのではないでしょうか。ですが、吉田寮に居住していた者への代替宿舎の提供にかかわるFAQでは、「正規学生の学籍を有している者のみが代替宿舎への入居が認められます」、正規学生であっても「修業年限の間しか入居できません」として、「修業年限内」の「正規学生」を優先する姿勢を明確に示しています。

 「支払ってもらえるコストによって受けるサービスは違って当然」という言い方に対して、私は、生活保護バッシングにも通底する非寛容さを感じます。学生の中には自身の病気やご家族のご不幸など思いがけない要因により、通常の修業年限内に卒業・修了できない者もいます。大学・大学院に入学してはみたものの、どのように自分の専攻を選べばよいのか、さらに卒業・修了後の進路をどのように定めればよいのか。いったん方針を決めたつもりでも、迷い、選びなおそうとする学生も少なくはありません。大学生活とは、今も昔も迷い多き時代です。そうした「迷い」のための時間と空間を許容することこそ、大学のあるべき姿ではないでしょうか?

 非正規学生の中には留学生の占める割合が高いという問題もあります。外国の大学を卒業してもすぐに大学院入学することは困難なために、まず非正規の学生として在籍しながら日本語能力を高めたり、研究技法の基礎を身につけたりすることが一般的です。そうした留学生が民間アパートを借りようとした場合に「外国人お断り」というあからさまな差別に直面する事態も、いまだに絶えることがありません。しかも、留学生の場合には居所の確保が在留資格に直結します。

 今回の緊急アピールの賛同者の中には「シェルター」としての吉田寮の大切さについて記したものが少なからずあります。「自治寮にお世話になってとても助かった留学生として、吉田寮の自治を応援しています」というメッセージもありました。「自治寮であったからこその家賃」と書かれた方もいました。月2500円程度という「寮費(寄宿料・水光熱費・自治会費)」は自治寮という伝統の中で可能になってきたことです。そのことは、近年、各大学の寮において、自治寮としての性格の後退と同時に数万円に高騰していることからもわかります。

 「寮費」の安さは、大学当局が寮居住者に対して相対的に多くの「コスト」を割いていることのあらわれなのかもしれません。あるいは、順調に就学している正規学生の中には、多大な「公費」が寮に居住する学生のために投じられていることを快く思わない者もいるのかもしれません。

 かりにそうした学生が本当にいたとして「いつ誰が困った状況になるかわからないのだ」として、セーフティネットの大切さを説明することこそが執行部の役割ではないでしょうか? 社会全体として新自由主義的施策の下で「正規」労働と「非正規」労働のあいだの格差を拡大し、「自己責任」という言葉でこの格差を正当化する風潮が蔓延しているからこそ、「正規」学生と「不正規」学生という区別とは異なる原理で存立する空間を大切にすべきではないでしょうか?

 賛同者から寄せられたメッセージの中には「京大が長年大事にしてきた余裕、寛容さ、自由奔放さ、カオスの文化の継承集団が解散させられかけている」というものもありました。「寛容」の原理は、川添副学長自身がご自身の研究の中で説かれてきたことでもあるのではないかと私は感じています。中世パリ大学でアリストテレス哲学に基づく特定の主張を講じた者を「異端」として排除する傾向が強い風潮の中で、トマス・アクィナスの果たした独特の役割について、あなたは次のように書かれています。

  • 「アクィナスは神学者としてキリスト教的な世界像を保持していたことは当然であるが、自己の信じる世界像と齟齬しない仕方で解釈した上でアリストテレスの世界像の根底を受容し、そうすることでキリスト教世界把握そのものを豊かなものとしたといってよいのである。このアクィナスの「神学」として構想化された思想のなかに、単に歴史的一事例としてだけでなく、多元的な世界像を含みこんでしか生きられない現代社会に処するための理論的な範型のひとつをみることができると私には思われる。」(川添信介「専門と教養―中世パリ大学の理念から」南川高志編著『知と学びのヨーロッパ史―人文学・人文主義の歴史的展開―』ミネルヴァ書房、2007年、236頁)


 西洋中世哲学史の門外漢の筋違いの論と笑われるかもしれませんが、吉田寮をめぐる執行部の対応は、「多元的な世界像を含みこんでしか生きられない現代社会」において無理矢理に新自由主義的な路線での一元化を図るもののと感じられてなりません。吉田寮と直接的な関係を持たない私が、こうした論を記すにいたったのも、多元性を許容しない非寛容な世界への恐怖が他人事ではないと感じているからです。

 これも「釈迦に説法」ですが、「寛容tolerance」とは「自己の信条とは異なる他人の思想・信条や行動を許容し,また自己の思想や信条を外的な力を用いて強制しないこと」(平凡社「世界大百科事典」)であり、そこには自分を脅かすことになるかもしれないものの存在に「耐えるtolerate」という意味が含まれています。大学を管理する立場からすれば、よくわからない人が出入りしているようだ…ということひとつをとっても、不安に感じるところがあるのかもしれません。ですが、その不安を打ち消すために完全な管理を実現しようとしたとしても、それは土台不可能であり、望むべきでもないと思います。

 どうか法的措置に訴えて今も吉田寮に残る学生たちの強制立ち退きを図るような事態を避けてください。それは、京都大学がこれまで長い歴史をかけて築いてきた文化的価値や社会的信用を根底から損なうものとなりかねません。

 吉田寮自治会としても、5月末を目処として現棟からの退去と新寮への居住移転の意向を表明しているのですから、「学生の安全確保」のためにまずは無条件に新棟移転を認めてください。

 市民に開かれたパブリック・スペースであり、京大の「縁側」でもある寮食堂の使用を従来通り認めてください。

 現棟への寮生の立入禁止を解除し、従来通りメインテナンスをできるようにしてください。

 その上で、場合によっては第三者的存在を交えて、入寮選考のあり方、現棟の補修の仕方と利用の仕方、今後の「団体交渉」のあり方などについてじっくりと話し合ってください。

 そうした対応は、行政のトップから社会の底辺にいたるまで非寛容な精神がいよいよ蔓延しているこの社会において「多元的世界像」の重要さを告げ知らせるものともなるはずです。

賛同者からのメッセージ(3月3日12時現在まで)

◯小関隆さん(呼びかけ人)のメッセージ

今からちょうど100年前、パリで開かれていた第一次世界大戦の講和会議でキーワードとなったのがself-determination でした。「民族自決」と訳されがちですが、「自己決定」の主体は民族とは限りません。よく知られている通り、このキーワードには多様な解釈を許す曖昧さがあり、少なからぬ紛争や悲劇の火種となったことは否定できません。とはいえ、紆余曲折はあったにせよ、以降の世界が「自己決定」の権利を尊重する方向で努力を重ねてきたことも事実です。吉田寮の問題もまた、こうした1世紀にわたる大きな歴史の流れの中にあります。

◯渡邊義明さんのメッセージ

1964年文学部入学、1965年6月から1967年4月(熊野寮に転寮する)まで吉田西寮にいました。
緊急アピールに賛同いたします。
寮生が築いてきた寮自治の伝統をまもり、大学当局に吉田寮の存続と大規模修繕のための協議の場所を求めます。
ところで、当局の責任者の肩書きが副学長のなっていますが、いつからそうなったのですか。
小生が在寮した当時の交渉相手は総長本人でした(少なくとも1969年学生部封鎖までは)。例えば、1966年12月熊野寮の暖房闘争(12月になってもスチームを入れない)、その交渉途中に逃亡した奥田東総長を連れ戻して暖房を認めさせました。そしてその連れ戻した小生の行為を理由にした停学処分を総長官舎に深夜乗り込み撤回させましたが。
安倍内閣・文科省の命令に従う大学管理体制の完成を阻み、反転攻勢するために、大学内外の力を合わせましょう。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

吉田寮をとりまく色々な慣習はひとつの文化と呼べるものであり、また様々な文化を育んできた重要な下地である。吉田寮をめぐっては、それぞれの立場から色々な人が色々な意見を持っていると思われるが、それらの意見が正当に話し合われることなく強引に事が進められようとしていることが一番の問題である(これに関しては立て看についても同様のことが言える)。
対話を失った京大は「自由」であるとか「おもろい」とは到底思えない。吉田寮をどうするべきか判断する際には真っ当な議論が必要である。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

自分は多様性を認めた上で対話による調和を大切にする京都大学が好きで、そこに通い多くを学ばせていただいたことを誇りに思っている。ところが今回のような不当権力の行使は京都大学の良さから最も遠い行為であり、OBとして残念でならない。当局は今までの対応を自省し、大学の原点に立ち戻って態度を改めた上で学生との真摯な対話に臨むべき。

◯島津瑠美さんのメッセージ

京都大学の学生自治を守るために、立ち上がっていただいた先生方に、先ずお礼を申し上げたい心境です。
社会から、そして、大学から秩序がどんどん壊れている状況を危惧しています。微力ではありますが、何かお役に立ちたいと思います。
皆様 ご苦労が並大抵ではないのではないかと拝察致しますが、どうぞ頑張っていただきますよう よろしく お願い致します。

◯福島直樹さんのメッセージ

吉田寮が大学自治の継承・発展に少なからず貢献できるだろうことに縛られすぎて、地域社会に息づく多様性や活力の源泉としての吉田寮の潜在力を見抜けずにいたことに、私は一寮生として、いま深く反省しています。吉田寮の自治の実体的内容は、一片の規定にあるのではなく、寮生と元寮生、学生、教職員、そして地域住民にも開かれた真剣な討議と行動に基づく課題解決の過程にこそあったのです。山極さん、この議論の輪に加わりませんか?

◯米田量さんのメッセージ

京都大学がこのように強権的で対話のないあり方をとることに大きく失望しました。実際の行動とは真逆のスローガンを社会に投げかける大学の欺瞞性を反省し、誤魔化しではないかたちで寮生との対話をはじめてほしいです。

◯蒔田直子さんのメッセージ

長年京大の近くに暮らしてきた近隣住民として、管理化、画一化が進む大学構内にあっても、学生の自由な創造力が残された吉田寮を誇りにしてきました。子どもたちや地域にも開かれた吉田寮は、町の大切な宝です。吉田寮生の対応は一方的で民主主義のルールを踏みにじる大学よりも、よほど冷静で成熟していると思います。大学当局は見苦しい対応をやめて、学生を大切に、真摯な話し合いに応ずるべきです。安倍政権のミニチュア版はやめましょう。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

学生時代、および卒業してからも吉田寮食堂のライブイベント等に参加し数多くの出会いや学びを得ました。
吉田寮が文化的な土壌として豊かなのは、寮生の自治により、吉田寮に集う人たちの多様性が担保されていることが源泉となっていると感じます。
今回のこの一連のやりとりを見ていて、大学側が問答無用に自治を剥奪しようとしている(ように見える)ことは、残念です。
少なくとも大学は寮自治会ときちんと対話をして、当事者間で納得のできる方向性を見出していただきたい。

第2次集約を3月14日(木)に設定します

「吉田寮問題にかかわる教員有志緊急アピール」、現時点で400名近くの方からご賛同をいただいています。賛同してくださった方、関心を寄せてくださった方に心より感謝いたします。本日が第1次集約の締め切りですが、今後まだ賛同者が増える見込みがありますので第2次集約を3月14日(木)と再設定して、引き続き呼びかけを続けます。その後の対応は状況により変化する可能性もありますが、現時点では第2次集約終了後に山極総長に賛同者名簿とともに緊急アピールを提出予定です。

これまでに寄せられた賛同者の方々のメッセージは、さまざまな立場から吉田寮にかかわる問題の広がりと深さを示しています。まだお読みでない方はぜひご一読いただくとともに、友人・知人の方々にこのブログのことをお知らせいただければ幸いです。

引き続きよろしくお願いいたします。

       「吉田寮問題にかかわる教員有志緊急アピール」事務局 駒込 武 

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