吉田寮問題にかかわる教員有志緊急アピール

京都大学の教員有志が主体となって「吉田寮問題にかかわる教員有志緊急アピール」を発表しました。 呼びかけの主な対象として想定しているのは京都大学の教授会構成員ですが、一般の方にもご賛同いただけます。賛同の受付は終了しましたが、今後も関連情報などをアップしていく予定です。

賛同者からのメッセージ集(2月23日8時現在まで)

◯岡田直紀さん(呼びかけ人)のメッセージ

 川添副学長、2月12日付の「吉田寮の今後のあり方について」という文書を拝見しました。これは副学長御自身で書かれたものではないにせよ、あなたが主導してまとめられたものと理解しています。
 この後に吉田寮自治会から2月20日付で出された「声明」と合わせて「あり方について」を読むとき、あなたと同世代の大人として同情を禁じえません。「あり方」が、一方的な通告として有無を言わさずこちらの言いうことを聞けと主張し、問題解決に向けた努力の跡など一切感じさせないのに対して、「声明」には多くの寮生が議論を重ね、何とか打開の方向を見出そうと努力した跡が感じられます。(このことは、分断と対立を避けるために南の島でいま懸命に力を尽くしている人たちの姿を私に想起させます。)どちらの文書が読む人の心を動かすかは説明を要しないでしょう。この寮生たちのように、副学長にもひたむきな努力を傾けた時代がかつてはあったのだろうと、自分を振り返って推測します。歳を重ねるということは、必ずしも賢くなるということではないのですね。
 川添副学長、あなたの教えを受けた学生たちのことを考えると、同じ教員として同情を禁じえません。講義とは義を講ずると書きますが、「あり方について」を読んだ学生たちは、あなたが講じていたのは義であったのかと疑わないでしょうか。自分を指導してくれた教員に対して今も私が持ち続けている尊敬を、あなたの指導した学生は果たして持つでしょうか。
 川添副学長、「あり方について」が広く知れわたるようになった今、一人の人間として同情を禁じえません。人が心ならずも嘘をつくことを私は承知しています。そして、平然と嘘をつく人はそう多くはいないのだとも。居住者の安全確保のためにと説明されてきた大学当局の対応が実は虚偽であり、真の狙いは自治寮の解体にあったことが「あり方について」で宣言されました。あなたは強いられてこうした対応を取られたのでしょうか。だとすれば実にお気の毒ですが、それとも・・・。
 「声明」を通じて吉田寮自治会からボールが投げ返されました。直球です。このボールをどのように受け止められるでしょう。注目しています。

◯福家崇洋さん(呼びかけ人)のメッセージ

 これまで大学当局は吉田寮生の退去を迫る理由として学生の安全確保をあげてきたが、今回当局から発表された文書「吉田寮の今後のあり方について」「現在吉田寮に居住する者へ」(2019年2月12日付)は、寮の「自治」を問題視しており、これまでとは異なる段階に入ったと考えている。大学当局は上記文書で、「時代の変化と現在の社会的要請の下での責任ある自治には程遠く」や「同様の無責任な行為・言動」などと書き、吉田寮の「自治」を問題視する。しかし、以上の理由では、根拠が弱く、当局側の印象操作にとどまっているといわざるをえない。
 「責任ある自治」は、「京都大学学生寄宿舎規程」第二条「各寮における寮生活の運営は、寮生の責任ある自治によるものとする。」から引用されたものである。この部分は後年改正されて追加された箇所で、規程制定時(1959年)には「自治」の文言は記されていなかった。しかし、当初の規程でも寮の「自治」に対する配慮はなされており、大学当局は寄宿舎の管理と運営を分けて考えていた。同時期に寄宿舎側が作成した規程制定に関する資料には、「その後芦田学生部長とも懇談する機会を得、我々の寮が自治憲章等によつて何等の不足もなく運営されている実状を説明し、管理規程だと云われる寄宿舎規程や細則が、管理の面にとどまらず選考その他の運営のあり方に迄変更を生ぜしめるのではないかと云う全寮生の懸念を伝えたところ、先に厚生課長から示されたのと同様の考え方によつて、その懸念の不必要な事を説明された。」(京都大学々生寄宿舎総務部「学生寄宿舎規程制定に関する経過報告」1959年2月26日付、『吉田寮関係資料』Ⅰ-100、京都大学大学文書館所蔵)とある。
 よって、規程制定後でも、これまで通り寄宿舎の運営(上記によれば「選考」も含む)は寄宿舎自身に委ねられることが考えられていた。このため、寄宿舎側は「たとえば自治憲章、実行箇条等を遵守する精神を失い、舎生の機関によつて秩序の維持が不可能となる」ような事態でなければ、「大学制定の細則によつて運営のあり方を拘束する事はできないものとなりました」(同上)と記している。
 その後、この寄宿舎規程については吉田寮側から問題提起がなされ、より運用実態にあわせるべく規程改正運動がなされ、結果的に1963年5月付で京都大学学生寄宿舎規程の改正が行われた。とくに重要と思われる改正箇所を以下に引用する(京都大学事務局『学報』3022号、1963年5月31日)。

  • 「第二条 各寮〔吉田寮、宇治寮、女子寮を指す 引用者〕における寮生活の運営は、寮生の責任ある自治によるものとする。
  • 2 寮生の自治に関する規則は、寮生がこれを作成し、学生部長の承認を得るものとする。その規則を変更しようとするときも同様とする。」
  • 「第四条 入舎する者の選考は、寮生代表の意見をきいて、学生部長が行なう。」

 まず、この規程改正が寄宿舎側の意向を汲んだものであることは、寄宿舎側が策定していた「京都大学学生寄宿舎自治憲章」(1955年、『吉田寮関係文書』Ⅰ−112)総則第二条「本寄宿舎は責任ある自治生活を営み、舎生相互の人格の向上を図ることを期する。」として、「責任ある自治」の文言が寄宿舎規程にも新しく盛り込まれたことからもわかる。選考についても、もとは「学生部長が選考を行う」だったのが「寮生代表の意見をきいて」が追加された。
 また、当時の京大の評議会に提出された文書「京都大学学生寄宿舎規程の一部改正について」(『評議会関係書類 昭和37年9月〜昭和38年7月』MP00071、京都大学大学文書館所蔵)では「改正理由」として、「学生寄宿舎の伝統ならびに現状に照らし、寮生による自治的運営を明確にすることにより、寮の教育的機能を一層向上せしめるよう、この規程の一部を改正するものである。」と記して、寮の「自治的運営」を大学当局自身が強く謳っている。規程内では学生部長(のち副学長に改正)の関与が記されているが、それはあくまで寮側の「自治」を前提にしたうえでのことである。
 当時の『学園新聞』1963年5月20日付にも、規程改正の記事「寮規定改正される “学生の自治”を強調」が掲載され、第二条について「寮生の“責任ある自治”が積極的に前面に押し出されている」として評価している。なお、同記事には、2月15日に寮生代表と大学側の間に「覚え書」が交わされ、第4条に「入寮選考については慣行を尊重する」という文言が付帯されたとある。
 よって、規程の改正は明らかに大学当局が寄宿舎側の「自治」を追認したものであり、この状況下で改正が行われたことを踏まえて、現行の規程を解釈する必要がある。
 なお、「京都大学学生寄宿舎自治憲章」はのちに「京都大学学生寄宿舎吉田寮自治憲章」(1965年制定)と変更され、上記の総則第二条につづいて、第三条「本領は自治寮たるをもつてその運営はすべて本寮寮生に依り行われ、本寮以外の何らの干渉を受けず本寮の自治の侵害は許さない。」が加えられている(『吉田寮関係資料』Ⅰ-101、上記項目は「吉田寮自治会自治憲章」に改正されながら継承)。
 以上の経緯を踏まえて、改めて大学当局が発表した「吉田寮の今後のあり方について」「現在吉田寮に居住する者へ」の問題点について考えたい。まず一点目は、「本学は、基本方針を実施する過程において、吉田寮自治会による吉田寮の運営実態が到底容認できないものであることを認識するに至った。・・・しかし、この不適切な実態は、・・・学生寄宿舎である吉田寮を適切に管理する責務を負う本学にとって、看過できないものである」とあるのは、寄宿舎規程制定時における、管理と運営の別を踏まえた大学当局の見解と齟齬があるということである。大学当局が管理主体として運営主体(吉田寮)の自治慣行を尊重・追認したうえで、安全確保のため退寮を促すことはまだしも、占有移転禁止の仮処分命令申し立てなどの法的対応に訴えることは、自治的な運営に対する侵害である。あわせて、その運営に含まれる新寮生選考を大学当局が一方的に禁止を言い渡したことも問題である。
 もう一点は、吉田寮の「自治」に問題があったか否かである。寄宿舎制定時における寮側の認識として、運営に支障がある状態とは、「自治憲章」等を遵守する精神を失って寮内の機関による秩序維持が不可能となった場合が想定されている。この精神とは、「自治憲章」総則に記されてきた、寮生が責任ある自治生活を営むことや寮生相互の人格向上を図ることであり、また自治寮として他からの干渉を受けないことである。少なくとも、現在の吉田寮がこの2点に体現される精神を守っていないとはいえず、むしろ自治寮を守り受け継ごうとしているがゆえに今日の事態にいたっている。よって、大学当局が言うように、吉田寮の「自治」に問題があるとは到底いえず、規程を理解していない当局側の干渉こそが吉田寮の「自治」を脅かしているのである。そのことを以て吉田寮の「自治」に問題があるかのように印象操作を行う大学当局の姿勢は、自己矛盾としかいいようがなく、学問の府が取るべき姿勢ではない。よって、大学当局は、運営を担う吉田寮の「自治」を尊重したうえで、吉田寮との対話・協議を再開することを何より求めたいと考える。

◯川島茂人さんのメッセージ

まず、「学生側の責任者及び関係者」と、「大学側の責任者及び関係者」は、平等な立場で、公平公正に話し合う機会を持たなければいけないと思います。日本の民主主義の成熟度が問われている非常に大切な問題であると感じます。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

大学当局の吉田寮に対するやり方には疑問を感じていました。緊急アピールに賛同します。

◯「匿名希望」さんのメッセージ

京大生でも卒業生でもないが、寮の近くで元寮生らとシェアハウスをしていたので、2年半程頻繁に出入りしていた。寮生とバンドを組んだり、読書会や映画の上映会をやったりラップやDJを教えてもらったり。旧食堂で谷川俊太郎による朗読会が開催されたこともあった。併行してカンパ(投げ銭)制のビーガン料理レストランが、元寮生により開かれた。カンパ制のレストランは、ボンジョビがニューヨークでやっている事で、最近でもラジオ番組で話題になっていた。

寮との暮らしはワンルームに住んでいた頃とは比べものにならない程一日一日が濃密だった。人と会うのに電車に乗ったりバーに行かなくても、こたつに鍋と酒瓶で集まれるから、お金を使わなくても心豊かに暮らせた。

寮生それぞれの関心も多様だ。話に共感して、子どもの居場所づくりや、無料数学塾など、社会的意義のある試みを実験的にやってみることもあった。寮があると集まる場所に事欠かないし、日頃顔を合わせていると距離感も近く、人手を集めやすい。学生の生活様式として最適化されていると、つくづく感じた。そうして自治寮の場にはいつも新しい風が吹いている。知的、実践的な刺激と熱気が溢れていた。

よく、学籍のないものが長年住み着いているとか言われたりもするが、実際は滅多にいない。長くいる人も科目等履修生だったり、再受験して京大に入り直したりして学籍はある。

仮に家を持たない学外者がそのまま住み着くようなことがあれば、まずたちまち寮内で話題になる。寮生らがよってたかって、その人にとって最も人道的な支援について話し合いを重ねるだろう。寮生はなんやかやと文句を言いながらもパワフルで、話し合いによる寮自治は現に活発に機能している。

また、""吉田寮は反社会派勢力のアジト""といったうがった見方も、事実と異なる。吉田寮生は古くから過激派と距離を置きノンセクトを貫いてきた経緯があり、日頃より個人の精神的自立を非常に重視している。セクトどころか、新興宗教やマルチまがいのセミナー勧誘も皆無であり、これは一般的な大学のキャンパスよりよほどクリーンといえる。

入寮する動機は様々だが、時には深刻なものもある。親が強要する地元の大学を蹴ったから、親から全く援助を受けられないという複雑な話も聞いた。親の年収が高いと経済的な支援制度が使えないことが多い。この人は自治寮のある大学を選ぶ事で己の独立性を保っていた。

人対人の関係で一人一人の事情に寄り添い、画一的な規律ではなく話し合いの中で解決を図ってきた寮自治の仕事ぶりは、とても大学当局が肩代わりしきれるものではない。これまで学生の自主性を尊重し、判断を委ねてきた事で、組織や制度にはできない入寮選考が実現していたのだ。

寮生らは常に自分の感覚に問い、己の思考と判断に頼って判断するし、他人の感覚や思考も尊重する。その態度が、過去には女性や留学生にも入寮権を拡大してきた。

4〜5年前の交渉ではジェンダートイレの設置を求めるなど世界に先駆けた要求もしていた。実現していれば今頃先進的な取り組みとして京大の実績になっていただろうに。

自分の母校の大学時代を振り返ると、個人間競争が激しく、ファッションだのモテ非モテだのと周囲との差ばかり気にして、くだらない事で消耗していたように思う。その点吉田寮は、人との距離感が違う。連帯を深めて協働する学生生活がそこにはあった。

吉田寮には人の精神性に影響するような場の力がある。京大が吉田寮を失うことは、あの活気や生気、自分と違う立場を思いやる想像力、寛容さや多様性も失われるという事だ。それはいたたまれない。